『中世の異端者たち』と『宗教改革とその時代』を読んで
長野県立美術館でスーパークローン文化財展を観てきた。
長野県立美術館がリニューアルされた
善光寺の近くに美術館があることを知ってはいても、美術館は敷居が高く感じられて足が向かなかった。2021年4月10日に「長野県立美術館」としてリニューアルされたことを知って、なんとなく興味がありそうな展示を調べてみた。調べてみると、スーパークローン文化財展のことが出てきたので、頭の片隅に置いておいた。展示の終わりが近づいてきている中、ようやく人出の少なそうな雨の平日に行くことができた。
スーパークローン文化財展とは
公式HPから引用すれば、スーパークローン文化財の定義はいかのようになる。
東京藝術大学で開発された高精度な文化財複製である「クローン文化財」は、伝統的な模写の技術と最先端のデジタル技術に人の手技や感性を取り入れ、素材・質感・技法や文化的背景や精神性などの“芸術のDNA”に至るまでを再現したものです。
今回の主な展示は、バーミヤン東大仏天井壁画、キジル石窟 第212窟、敦煌莫高窟 第57窟、高句麗古墳群江西大墓、法隆寺金堂壁画、法隆寺釈迦三尊像が3つ(!)。釈迦三尊王は作られた当時のもの、現在のもの、クローン途中のものの3種類が展示されている。
平面である絵画よりも立体である像のほうが有難みを感じる。平面は壁の状態などもクローンしているのだけれど、それでも平面の複製に慣れ親しんでるから、それほど大きな驚きがないのかもしれない。
実際に展示を観て
目にするまでは、今回の展示の主題はオリジナルとコピーの話としてとらえていたのだけれど、クローンのレベルが高過ぎて、どうやらその問題はとうに過ぎているようだ。クローンを生成する意味を、「保存」と「公開」の両立としてとらえていて、素晴らしい試みだと思う。クローンの精度をコンピュータと芸術家が協働することで担保している仕組みもとても面白い。
もう少し美術館に行くようにしたい。
『ハプスブルク帝国』を読んで
山川出版の大津留厚著『世界史リブレット ハプスブルク帝国』を図書館で借りているさなかに、知人から『エリザベート TAKARAZUKA25周年スペシャル・ガラ・コンサート』を一緒に観ないかと提案をされた。調べるとエリザベートとは、皇帝フランツ・ヨーゼフの妻とのこと。皇后エリザベートの生涯を描いたミュージカルを宝塚が公演しているようだ。公演を観るまでに読み終えれば、理解も深まるだろうと読み進めた。
皇帝の話ではない
結果としては、本文中に皇帝フランツ・ヨーゼフの記述は出てくるが、皇帝一家の話が中心になっているわけではなくエリザベートに関して言えば触れられてもいない。ハプスブルク家というと皇帝の話かと思いがちだが、そうではなかった。皇帝一家のお家騒動の話を主題に置いてはいなかったが、エリザベートをとりまくオーストリアとハンガリーの状況を観劇前に理解できたのは良かった。
中心となる時代
『ハプスブルク帝国』で扱う時代は、ハプスブルク家領がオーストリア帝国を名乗ってからが中心といっていいだろう。オーストリア帝国の成立は1804年。現在のオーストリア、ハンガリー、チェコ、クロアチアを含む地域において、各々の民族主義が高まり、言語による文芸復興が起こる。民族と文芸復興という組み合わせが面白い。ハンガリーではハンガリー語、ボヘミアではチェコ語、クロアチアではクロアチア語による文芸復興がそれぞれ起こり、話者が自らのことをハンガリー人、チェコ人、クロアチア人という認識をしはじめるということになる。
民族が力を持つように
1848年革命で、ハンガリーは議会制内閣を得て、自治政府を樹立する。同様に、クロアチアも自治政府を樹立しようと試みるが、オーストリア皇帝の承認は得ることができたが、ハンガリー国王の承認を得ることができず、自治政府の樹立を実現できなかった。ハンガリーとクロアチア、同じハプスブルク帝国内で軍隊の対立が発生することとなる。 どのような経緯でアウグスライヒ体制となったのかはいまいち理解ができていない。ハンガリーの民族主義の高まりに応じてハンガリー=オーストリア体制になったのかもしれない。まず、オーストリア政府とハンガリー政府がそれぞれあり、オーストリア皇帝とハンガリー国王をハプスブルク当主が兼ねている、という状況自体想像するのは簡単ではない。
第一次世界大戦へ
帝国内部で沸き起こる民族主義の波をやりすごすため普通選挙を実現したというのに、サライェボにおいて皇位継承者フランツ・フェルディナンドが暗殺されることで、第一次世界大戦へ突入していくのは、なんとも皮肉な話だ。帝国内部への対応はなんとか凌いでいたのに、周りの諸外国はつけいるタイミングを見過ごさなかったのだろう。 ハンガリーやクロアチアの人々は、ハプスブルク帝国からの独立を求めていただろうに、どのような気持ちで総力戦に挑んでいたのだろうか。やるせない気持ちになる。
山川出版の世界史リブレットシリーズをもう少し読んでみようと思う。
『オスマン帝国の時代』を読んで
先日読んだ『珈琲の世界史』から、どうも歴史熱が再燃している。身近な珈琲とは、時間も距離も遠く隔たった歴史の話に接点を見出すのが思いの外楽しかったからだ。それで、旅行で行ったことはあるものの、歴史的なことをほとんど知らないトルコのことを知ろうと、林佳世子著『世界史リブレット オスマン帝国の時代』を手に取った。
対象としている時代は?
対象としている時代はアナトリアにオスマン帝国が発生する14世紀から、拡大したオスマン帝国から地方有力者が現れ初めて衰退が始まる18世紀までの400年以上の間となる。歴代のスルタンを詳細に説明するわけではなく、重要な人物にスポットを当てる程度だ。ムラト一世、メフメト二世、セリム一世、スレイマン一世が何をしたかが説明される程度で多くの紙面は割かれない。ムラト一世はデヴシルメ、イェニチェリ軍団などの制度を作り、メフメト二世はコンスタンティノープルを征服したなど、だ。さらに、それ以降はスルタン重要性が低くなり、官僚制が台頭してくるというのが、本書で伝えたい重要な点だろう。
主に取り上げているものは?
広大な土地を領域として治める際の制度設計として、軍隊と官僚制度がよくできたようだ。 征服した土地に住む人々をイスラム教に改宗するという話よりは、そこに住む人々からいかに税金を徴収するかというシステムに重きを置いている。徴税する役割と、監視する役割が別れていて、公平感があるように思える。徴収制度の権限を強化して終身契約制度にしたことから地方有力者が現れ、オスマン帝国が衰退していくというのが面白い。なぜそのような強い権限を与えてしまったのか。
オスマン帝国が衰退して何がやってくるのか?
各地方に現れ始めた有力者たちが民族と結びついて力を得ていくという記述がある。
同時にヨーロッパで生まれた民族という概念は、ときに成長しつつあった地方勢力の台頭と結びつき、ときに地方有力者に不満をもつ民衆のイデオロギーとして、オスマン帝国を内部から解体に導いていく。林佳世子著,『オスマン帝国の時代』山川出版社,1997,88頁
オスマン帝国ではさまざまな人種と宗教が広大な領域に混在していたことが描かれている。キリスト教徒を徴用して軍隊を組んでいたりもする。職場と居住区でも、宗教の混在などもあったようだ。多民族・多宗教でオスマン帝国がうまく回っていたのか、それとも回っていなかったがゆえにたまった不満が民族として強い力を持ち始めたのかは、本書だけでは判断できない。この民族とはどのような民族なのか、気にしながら今後の歴史の本を読んでいきたい。
雰囲気を知るためにも、Netflixの『オスマン帝国 皇帝たちの夜明け』を観てみよう。
政府について知りたくて『シンプルな政府』を読んでみた。
政策への評価基準が知りたい
新型コロナウィルスに対して、現在行われている政府の対応をどう考えたら良いのか。政治の知識がない自分には評価する基準がない。目にする評価のどれかを選び取るのではなく、なんらかの基準が必要だと感じるようになった。以前から気になっていた本書の「はじめに」を読んで、政策を決める理念のようなものがわかるのではないかと手にとった。
キャス・サンスティーンの著作は『選択しないという選択』『スターウォーズによると世界は』を読み始めたことがあるのだけれど読み終えられなかった、という苦手意識がある。今回は無事読み終えることができた。
政策を決めるときに考えること
本書では、政府が行う規制とはどのようなものであるべきか、を中心に話が進んでいく。規制という制限をかける合理的な理由として、費用対効果分析の重要性が説かれるが、たぶんポイントはそこではない。費用対効果を分析した結果として規制を行うのは当然の前提として、人々の行動を変容させる手段としてナッジにこそ重点が置かれているように見える。
ナッジの定義は以下の通り。
選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく、人々の行動を予測可能な形で変える『選択アーキテクチャー』のあらゆる要素リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン著、遠藤真美訳『実践 行動経済学 ―健康、富、幸福への聡明な選択』日経BP社
新型コロナ対策として、諸外国のように強制や罰則を与えられない日本では、人々の行動を変容させるために有効な手段であるように受け取れる。
ナッジの例として、ダニエル・カーネマンの著書『ファスト&スロー』で書かれている、システム1とシステム2が例として挙げられている。システム1は直感的に選び取るもの、システム2は熟慮をして選び取るもの、という分類がおおまかには当てはまるだろう。ナッジはここで熟慮をせずとも正しい選択を促すものとして描かれる。
また、別の例ではアメリカ疾病予防管理センターによるHIV感染者の入国禁止撤廃もナッジとして紹介される。このような動きが、HIV感染者に対する偏見をなくすよう、人々の行動を変えている、ということだろう。
ナッジは政策以外にも見て取れる
引用した定義もそうだが、ナッジは政策だけでなく、その他のものにも敷衍して利用されているのだろう。生活していてナッジに気づくものもあるし、今まで気づかないうちに小突かれていたものもあるのだろう。改めて世界を見直してみてナッジ探しをするのも楽しいのかもしれない。
寒ブリと熟成の関係
氷見に本ズワイガニを食べに行ったのだが、宿に着いてふと確認してみると一週間ほど前に寒ブリ宣言が出ていたことに気づいた。本ズワイカニに気を取られていてすっかり忘れていた。だが、宣言直後でなく、この「一週間ほど過ぎていた」ことで良いことがあった。
本ズワイカニを追加した夕食を頂いて大満足の「和風温泉元湯 叶」さんを後にして、富山の情報誌「Takt」に掲載されていた鮨屋へ昼食に向かった。
ブリの重さと熟成が大切
「今日のは13kg超えになります。」とブリの握りを出しながら氷見活魚鮨よしの大将は教えてくれた。重さだけで見れば14kgを超えたブリが良いとのことだが、型も味に影響するらしい。1kg少なくても太っていれば良いそうだ。「このブリは3日ほど熟成させています。熟成させると身の硬さが弱くなって、酢飯と一緒に口の中でほぐれるようになります。地元の人には硬いブリが好まれるんですが、寿司としては一緒にほぐれたほうが楽しんでいただけると思います。うちでは刺し身で出すなら身の硬い獲れたてのもの、寿司で出すなら熟成させたものと、料理によって使い分けています。」
富山にきていつも感じていた、ブリの身の硬さは新鮮さによるもののようだ。だからといって常に新鮮なものがいいとは限らない。
氷見活魚鮨よしさんのランチ
しらす、アオリイカ、ニシバイガイ、石鯛、ふくらぎ、宗太鰹、紅ズワイガニ、サバ、いくらの9貫に茶碗蒸しがついて2500円。ランチとは言えお得。追加で、クエと上述のブリをいただいた。紅ズワイガニの握りがシャリとカニの身が口の中でほぐれて旨い。
国道160号線から少しだけ入ったところにあるので、気軽に寄れて良いかもしれない。
やはり富山県は魚のレベルが高い。
上高地帝国ホテルに観光に行ってきた。
いつかは行きたいと思っていた上高地の帝国ホテルに宿泊してきた。GoToトラベル事業が良い政策とは考えていないが、利用させていただいた。感染者の少ない近隣県で食事に気をつけていれば感染する/させる確率は低いだろうと考えている。もちろん、それが感染を抑えるられるかはわからない。家にいたほうが間違いない。
宿泊したのは11月8日で紅葉も終わり山が白くなりかけていた頃。初めての上高地行きはさわんどバスターミナルから釜トンネルを抜けて行った。自家用車が入れないというのは環境を守りつつ非日常感を出すよくできた制度だと思う。特別な時間を過ごしているという気持ちが高ぶる。
そして帝国ホテル前のバス停で降りると赤い屋根の山小屋のようなかわいらしいホテルが迎えてくれた。
少し早く2時過ぎに着いたのだが、チェックインの際に5時からマントルピースの点火式が予定されていると伝えられる。河童橋への散歩から時間までに帰ってこれるように気をつけなければならない。
熊鈴を借りて河童橋へと続いている遊歩道を歩く。熊笹の茂る林の中を通れるよう、ボードウォークが整備されている。舗装された道路から少し離れているだけだが、どんよりとした天気も手伝って、動物と遭遇しないか気をつけながら歩く。陽が射していればもう少し自然の中の散歩を楽しめたかもしれない。
河童橋へ着くとそれなりに人手があった。
晴れ間が覗くのを待って、岳沢カールを入れて写真を撮影した。
梓川に沿ってホテルまで戻ると、マントルピースを囲むように多くの人が座って点火式を待っていた。
二人の方の進行で点火式が始まり、照明が落とされ、ふいごで火を起こしていく。ふいごに合わせて手拍子を繰り返し、火が起こったあたりで手拍子の速度は頂点に達した。点火によって、ホテルの夜が始まったという感じで、火を使ったこのようなイベントは満足度が高く、よく考えられたイベントだと感心した。このようなイベントが催されるホテルには泊まったことがない。
夕食までまだ時間があったので、マントルピースの下で燃える火を観ながら妻とビールで乾杯をした。
夕食はダイニングルームでコースをいただいた。こちらも素晴らしかった。
宿泊した客室ツインBはそれほど広くはないが、ソファでゆっくりくつろぐことも出来た。トイレと風呂は一緒だっただが、長いバスタブに横になることが出来リラックスできた。
夜中には星を観ることも出来たし、林の中からは獣の鳴き声が聞こえてきた。
翌日は早起きをして田代池へ向かうことにした。雪がちらついていたが濡れるほどではない。昨日の河童橋とは逆の方向となるが、再び遊歩道に入った。
朝7時過ぎと少し早い時間のためか人がいない。5日前にはこの付近で朝6時に子熊の目撃があったと注意をうながす看板がたっていた。熊鈴をズボンにつけていたが、不安になり手で鳴らしながら歩いた。すれ違った人は1人いたが、20分ほど歩いて田代池にたどり着いた。
大正4年(1915年)に最深で5mあった池は、土砂や草木の堆積物によって湿原になっているという。ただの小さな池なのだが、時間の流れを感じさせる。
ホテルに戻り、昨夜と同じダイニングルームで朝食をいただく。
二日間宿泊者たちを見たが40歳前半の私たち夫婦が最年少のように思える。平日の宿泊だったからかもしれない。
また歳を重ねて数十年後、帝国ホテルに宿泊したら何をするだろうか。きっと今回と同じように、河童橋を見て、点火式を見て、夕食を食べるだろう。それは私だけでなく、誰もがそうなのかもしれない。永遠というわけではないが、まだしばらくは同じような営みが繰り返されていくだろう。
そう思うと、映画『シャイニング』で記念撮影の写真の中に入ってしまった、ジャック・ニコルソン演じるジャックの気持ちがわかるような気がした。