納富信留著『プラトン哲学への旅 エロースとは何者か』を読んだ。プラトンの『饗宴』の舞台となった紀元前416年のアガトン邸の寝椅子に横たわり、『饗宴』への演説に参加することで『饗宴』とはどのような作品なのかが見えてくる。
時代背景が説明される
民主主義で統治されたアテナイには、プラトンが開設したアカデメイアがあり、『饗宴』で描かれるのは、ディオニュソス劇場での悲劇コンクールで優勝したアガトンの祝勝会での出来事となる。 一見民主主義が根ざした平和なアテナイではあるが、スパルタとのペロポネソス戦争は続いており、ポピュリスト政治家のアルキビアデスによってシチリア征服という破滅へと向かっていく直前という不安定な情勢の中にいる。 プラトンの『饗宴』を読んだだけでは、ここまでの時代背景は読み取れないのではなかろうか。
プラトンの哲学とは
引用されているソクラテスの発言は、カント哲学との類似を見ることができる。
「ディオティマよ。では、知を愛し求める者とは誰でしょう。知恵ある者でも無知な者でもないとしたら?」 「それは、子供にも明らかですよ。それらの両者の中間の者で、その中にはエロースもいるのです。」『饗宴』203E-204B
イデアの観点では、美であるところのものそれ自体を認識しているので、「現象」と「ものそれ自体」を分けるカント哲学とは異なっている。
この世のもろもろの美しいものから出発して、かの美のために常に上昇していき、あたかも階段を用いるようにして、一つの美しい肉体から二つの美しい肉体へ、そして二つの美しい肉体からすべての美しい肉体へ、そしてさまざまな美しい肉体から人間の美しい営みへ、そして人間のさまざまな営みから美しい学びへ、そしてさまざまな学びから、他ならぬ かの 美そのものを対象とするこの学びへとたどり着き、最後に、まさに美であるところのものそれ自体を認識することになるでしょう。もしどこかにあるとすれば、人生のここにおいてこそ、人間にとってその生が生きるに値するものとなるのです。すなわち、美そのものを観照する時に。『饗宴』211C-D
プラトンの他の著書『ポリティア』に出てくる洞窟の世界へ入り、そこでソクラテスと出会うなど、プラトンの哲学に関する説明もあるが、本書を読んでも全体像なかなか見えてこない。見えてこないのが当たり前なのかもしれない。 『饗宴』で登場した人物が、別の著作にも出てくることもあることを知れたので、機会があれば『饗宴』そのものもだが、他の著作も読んでみたい。
話は逸れるが
ディオニュソス劇場は2010年のギリシャ旅行で訪ねていた場所だったようだ。2400年前にアガトンの劇が演じられていたと知っていれば、観光にももう少し深みが出たかも知れない。よくあることなので、あとから知るのも良いかもしれない。
『アサシンクリードオデッセイ』は、紀元前430年のスパルタを舞台にしており、『饗宴』の登場人物も、ゲーム内に多く存在しているようだ。