チャイナ・ミエヴィルの『ペルディード・ストリート・ステーション』を読み終えて、同じように街を舞台としたの『都市と都市』を読み始めたら、まったく違う切り口で驚いた。
なぜ旅行をするのか
旅行が好きだ。旅行先の地のものを食べたり、その土地の文化を感じることも好きな理由の一つだが、一番の理由は自分が住んでいる環境との違いを知れるからだと思う。生活している環境が当たり前になりすぎると改めて見つめ直す機会がない。旅行に行くと否応なく自分の世界と旅行先の世界の違いに対面することになる。
どちらの料理や文化が好みなのか優劣をつけるのではなく、今まで気にもとめずにいた事柄に対し、新しい視点を与えてもらえたとき、旅行をしてよかったと思える。
では、『都市と都市』では、どのような視点を与えてくれるのか。
『都市と都市』で描かれる視点
『都市と都市』の舞台である架空の都市、べジェルとウル・コーマは、物理的に隣り合っている。
国境を超えて、あちら側を見ることは違法になる。もちろん、国境を超えてもいけない。
訪問者は、最低限の概略、すなわち、建造物の標識、服装、アルファベット、マナー、怪しい人間の外見や身ぶり、義務の詳細ーそして、べジェル人の教官によっては、国の特徴として優れていると思われる点などーさらに、べジェルとウル・コーマ、及びその市民の差異を覚えることになる。
チャイナ・ミエヴィル『都市と都市』ハヤカワ文庫SF、2011、127頁
にも関わらず、複雑に入り組んだ国境を知る術は、上記のようにあちら側を見るしかない。
べジェル人やウル・コーマ人は、あちら側を見ないようにしつつ、国境を超えないよう生活している。
その視点は『都市と都市』の外には存在しない
もちろん、この視点は『都市と都市』の外の世界には存在しない。まったく荒唐無稽な視点だ。
もし、べジェルとウル・コーマが存在するとして、私が二週間のトレーニングをして入国したとしても、べジェル人とウル・コーマ人のようにあちら側を見ないようにすることは出来ないだろう。
この視点を持ちたいのではない。
このような視点がありうること、別の思いもよらない視点が現実にもある可能性が、『都市と都市』を読んでいる間に感じていた面白さではないかと思う。
今、一番行ってみたい都市。