TSUTAYAで先行レンタルしてたので借りてきました、『ナイトクローラー』。
最寄りのレンタルショップはGEOなんだけど、TSUTAYA先行レンタルなので少し足を伸ばして借りてきた。
主人公ルイスがやってること
町にある金網を盗んで生計を立てているような、社会的に恵まれていない主人公ルイス・ブルームが、ある日事故現場の映像をテレビ局に売る仕事の存在を知り、自らもその仕事を始める。映画のはじめから、ルイスは金網も盗むし、それを見回りに来た警備員の腕時計が高価だと見て取れば、殴り倒してそれも奪う。
そんなルイスが事故現場などの凄惨で刺激的な映像を求める仕事につけばどうなっちゃうんだよ!ってのが物語の推進力になってる。
必要に応じてやっている
ルイスがやってることって、貧しいがゆえの行動で必要に応じてやってるんだよね。家に帰れば観葉植物に水やりするような一面を持っていて、暴力とは無縁な生活をしているように見える。会社勤めしていて経済的に問題がなければ犯罪なんて犯さないように思える。
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のジョーダン・ベルフォードは、犯罪を起こすし、資本主義を手段として自己実現するので、要素は似てる。でも、自己実現の手段として犯罪を犯しているわけじゃない。ドラッグに溺れたりするのは、稼ぐためじゃなくって好きでやっている。ルイスがお金のために犯罪を犯しているのに比べ、ベルフォードは外部からの求めに応じて犯罪を犯しているわけじゃないところが違うところだろう。
『ダラス・バイヤーズクラブ』のロン・ウッドルーフは、自分と他の患者の命のために無認可のHIVの 治療薬を密輸する。治療薬の認可が下りるのを待っていたら死んでしまうので、仕方なく密輸しているだけだ。薬の認可が降りていれば犯罪など犯さないだろう。ルイスと同様に必要に応じて犯罪を犯してる。でも、二人から受ける印象はまったく異なる。
ロン・ウッドルーフの目的は命を救うことで、ルイス・ブルームは命を危険に晒すことが目的ではなく、手段に過ぎないからだ。
事故はなぜ起こるのか
『ナイトクローラー』を観て、まっさきに似ていると思った映画は『ノー・カントリー』だ。
だけど、上と同じように比べていくと、アントン・シガーとルイス・ブルームには共通点がほとんどないことがわかってくる。ルイスは自ら「Quick Learner」というように、自分自身の行動をどんどん変えてゆく。それに対して、アントン・シガーは、はじめから終わりまで行動に変化がない。自分のためにしているわけでも、金のためにしているわけでもなく、淡々と人を殺していく。シガーの行動は周りに影響を受けていないように見えるが、ルイスは周りの要求に応えるように自身を変化させていっている。シガーはどこへ行ってもシガーのままだけど、ルイスは環境が変われば、別の行動を取る。
ショッキング映像で視聴率を稼ぐテレビの仕組みに、組み込まれたためにルイスは出来上がっている。ルイスが生まれるためには、仕組みが最初にある必要がある。でも、シガーは仕組みそのもの、という感じだ。シガーは誰かの損得に関係なく、殺す。そこに何かが介入して影響をあたえることはない。殺された人は、事故にあったようなもので、そこにシガー個人の考えは一切影響がない。ルイスは自ら事故を起こす。そこには、個人の意志が存在してる。
比べるということ
シガーとルイスを比べてみて、『ノー・カントリー』の何を面白く感じていたのかが、少しわかった気がする。簡単に言ってしまえば、シガーは死神なんだってことだ。生きている死神。それで、本来死神が持つ理不尽さが前面に押し出された結果、とても面白く感じてたってことだ。
そうなると、ルイスのほうが理不尽な死神なんじゃないの、という気もしてくる。それは今度ノーカントリーの原作を読みながら考えてみたい。