2020年2月27日木曜日

『ドゥ・ザ・ライト・シング』を観ても、正しいことがわからない。

スパイク・リー監督の『ドゥ・ザ・ライト・シング』を観た。図書館にあった『ユリイカ2019年5月号 特集=スパイク・リー』を手にとったことがきっかけだ。

映画の話になれば名前をよく耳にするが、実際にどんな人でどんな映画を撮る人なのかまったく知らない。最近撮った映画は話題になっているようだ。その『ブラッククランズマン』も明らかに人種問題をテーマとしているし、どうやら過去の作品から一貫して人種問題をテーマにしているようである。いきなり最新のものを観るのではなく少し遠回りにはなるが、理解を深めるため、過去のものから観はじめたというわけだ。

あらすじ

ドゥ・ザ・ライト・シング (字幕版)
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舞台はブルックリン。イタリア系アメリカ人のピザ屋で働く主人公の黒人青年ムーキーは、ピザの配達に行くたびに寄り道をしてばかりだ。街にいるのは、缶ビールを飲みながらうろついている市長というあだ名の男、ラジカセでパブリック・エネミーの「Fight the Power」を爆音で流しながら生活しているラジオ・ラヒーム、ピザ屋の壁に黒人の写真が飾られていないと怒るバギンなどなど、と一癖ある人々ばかりだ。

うだるような暑さの日、通りに住む人々は、小さな諍いを起こしながらも、それぞれ自由に生活をして平和に暮らしている。だが、その中の一つの小さな出来事から起こった諍いが人種間の問題に発展し、止めに入った警察による過剰な暴力で、取り返しがつかない事態が引き起こされてしまう。

強いメッセージ

この映画のタイトルの言葉は酔っ払いの市長からムーキーに向けて語られる。

"Always do the right thing."

登場する人物全員がみな常に正しいことをしていると思って生きているようにみえる。みんなの正しさの積み重ねが悲劇につながっていくのは避けようのないことなのか。それとも、常に流れているパブリック・エネミーの「Fight the Power」が象徴するように権力と戦えば悲劇は避けられるのか。

映画の終わりにラジオから、昨夜の騒ぎの原因を調査して同様の事件の再発防止を防ぐというNY市長の談話が聞こえてくる。

原因は私にはまだわからない。もう少しスパイク・リー監督の作品を観てみようと思う。

「 
2020年2月16日日曜日

Amazon の AWS IoT ボタンを玄関チャイムにしてみた

引っ越して来たときから、今住んでいる貸家には玄関チャイムがついていなかった。ほとんど訪ねて来る人はいないのだけれど、たまに郵便局の人が来た。「郵便でーす!」と配達の人が声をかけてくれるのが申し訳なくて中国製のチャイムを取り付けたのだけど、一年ほどで鳴らなくなってしまった。改めてAmazonでチャイムを探すも中国製、日本製を問わず、後付のチャイムで定番の品がないようだった。 また口コミを読んでいるとどれを買ってもすぐに壊れそうな気がしてくる。なんだかどれも買えなくなってそれならば自分でチャイムの仕組みを作ろうと、AWS Iot ボタンをポチった。

玄関チャイムの構成

AWS IoT ボタンを有効にするには、AWS上でIoTボタン用のプロジェクトを作成し、色々と設定する必要がある。少し手間取ったけれど、ちょっとググるだけで詰まったりせずに設定できた。 プロジェクト内のテンプレートでボタンが押されたら呼び出すLambda関数を設定して、このテンプレートに設定する物理的なボタンをプレイスメントで紐付けてあげるような仕組みのようだ。 プロジェクトまわりの設定については、こちらのドキュメントの「ThumbsUp」と「ThumbsDown」の例がわかりやすい。

ここまでできれば後はLambda関数でIFTTTのWebhookを呼び出すだけだ。

import urllib.request

url = 'https://maker.ifttt.com/trigger/{event}/with/key/XXXXXXXX'

def lambda_handler(event, context):
    req = urllib.request.Request(url)
    with urllib.request.urlopen(req) as res:
        body = res.read()

全体としては以下のような構成というか、呼び出し順になっている。

IFTTTでは、Webhookが呼び出されたときに、LINE通知をするように設定した。

設置してみた

そのままボタンを玄関に設置しても、訪問者がなんだかわからない可能性が高い気がしたので、テプラで玄関チャイムだとわかるような絵文字を選んでシールを貼り付けた。ボタンを押すとLEDが点滅してから、呼び出し成功の緑に変わるまで少し間があるがなんとか使えている。

何よりも押されたときにログが残ることと、家にいないときでも通知が来ることが便利だ。家の近くで仕事をしている私のような人には荷物を受け取りに家まで戻ることも出来てしまう。

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2020年2月7日金曜日

ETV特集『人知れず 表現しつづける者たち iii』を観て。

NHKで放送されていた『人知れず 表現しつづける者たち iii』を観た。少し前に再放送されていた『i』と『ii』をたまたま観たおかげで、この放送を知ることが出来た。たしか『i』で言及されていたが、放送で取り上げられている作品は、アール・ブリュット展に展示されている。「アール・ブリュット(生の芸術)」、まったく知らない言葉だった。

アール・ブリュットとは、既存の美術や文化潮流とは無縁の文脈によって制作された芸術作品の意味で、 英語ではアウトサイダー・アートと称されている。

放送の中では、それぞれの作者は一様に、楽しそうに作品を作っているように映っていた。

誤解としての芸術:アール・ブリュットと現代アート
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芸術の見かた

もう10年近く前になるが村上隆の『芸術起業論』を読んでから、芸術に対する考え方が変わった。そこには、芸術は既存の文脈の上に築かれるものであるということが繰り返し書かれていた。過去の芸術作品に対して、自分の作品が新たに追加されることで既存の文脈が変わる。この考え方に触れるまでは、芸術は感性で見るものだと思っていたし、その見方しか知らなかった。

「既存の美術や文化潮流とは無縁の文脈によって制作されている」というアール・ブリュットは、村上隆の考え方では鑑賞するとっかかりがない。もちろん、どちらの考え方が正しいのかという問題ではなく、どちらの作品のほうが価値があるのかという問題でもない。文脈を考えて作品を作ったほうが、人に知ってもらい評価される機会が増えるという話なだけだ。

どう見たのか

では何にどう惹かれて見たのかということになる。

昔なら同じテーマについて何年も描き続ける情熱に感嘆していたかもしれない。情熱は内から出てくるものだと思っていたから。だが、最近は少し違う気がする。何年も描き続けるのは、何かに囚われているからではないか。抜け出したいのか抜け出したくないのかもわからないが、何かに囚われているような気配は感じる。

その囚われた感じを感じることができるのは、アール・ブリュットのような気がした。

アール・ブリュットの本を読んでみたくなった。

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