2020年3月19日木曜日

『ランニングする前に読む本』を読み終えて走り出した。

健康を気にする年齢になった

ここ数年の健康診断ではあまり良い結果が出ていない。原因はわかっている。
毎晩の楽しみのお酒だ。

診断結果を受け取りにいくたびに運動を進められるようになって、運動をしなければという気持ちが徐々に芽生えてきた。坂詰真二著『世界一やせるスクワット』を買って2日に一度のスクワットをはじめた。スクワット10回を3セット。しばらく続けてみたが体が軽くなったように感じる。こんな簡単な運動でも効果があるようだ。

効果が出たことを実感したら、もっと劇的な効果が欲しくなってきた。

もう少し運動をするならランニングしかない。プールにも通ったことはあるが、水着や移動の手間が多く長続きしなかった。ランニングなら家の近くの交通量の少ない道ですぐにはじめられそうだ。以前目にしたことがあって気になっていた『ランニングする前に読む本』を手にとった。

痩せるには

ダイエットのためであれば3章を読めば良いと目的別ガイドにはあるが、頭から読んでいった。他にはマラソンを走るためや、3時間を切るためにはどうすればよいかも書かれている。マラソンは走ったことがない自分には関係ないことだと思いながらも読み進めていくと、来年にはマラソンに挑戦してみようという気持ちになっている。

小さな楽しみを重ねていった結果としてマラソンを走ることが見えてくるから、自分にも出来そうな気になってくるのだろう。

たとえば体重が 60 ㎏の人の場合、速く走ろうがゆっくり走ろうが、1㎞走れば 60 を消費するということです。この推定法を使えば、ごく簡単にエネルギー消費量を計算できるので便利です。
田中宏暁著,『ランニングする前に読む本』,講談社, 2017,位置:330

脂肪1kgはカロリーに換算すると7200キロカロリーに値するらしい。時速6kmで1時間走ると体重60kgの人であれば300キロカロリーを消費するらしい。単純に計算するれば時速6kmで24時間走れば体重が1kg減らせるはずだ。もちろん数ヶ月の長い期間での話だけれども。

マラソンを走ってみたくなった

読む前は健康のために走るという目標だったのだけれど、本を読み進めていくうちにどんどん目標が変わっていった。フォアフット着地という走り方でニコニコおしゃべりできるペースで走っていくと、脂肪が燃焼してしまう。そして脂肪が燃焼した結果、体重が減るとマラソンの成績が良くなる。ニコニコペースで走ると、酸素の摂取能力も向上し、若返るという。体の中でエネルギーがどのように使われていくかまで解説されていて、とても科学的だ。

このように、小さな目標と得られる楽しみが数多く提示される。
ちょっとやってみようという気になって、何度か走ってみた。まだまだ習慣化されていないし、つづくかどうか先は見えない。
健康のためとマラソン完走のために続けていきたい。

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2020年3月11日水曜日

『へレディタリー/継承』した後にどう生きるか?

最寄りの映画館でアリ・アスター監督の『ミッドサマー』の上映が始まった。かと思ったら、どうやらすぐに上映終了してしまうようだ。前作『へレディタリー/継承』の評判も良いし観に行きたいが、前作もまだ観ていない。前作を観て準備万端で挑もうと映画を観る隙を伺うも、うちでホラー映画に興味があるのは私一人なのでなかなか機会が巡ってこなかった。先日ようやく観ることが出来た。

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妻が寝たあとで、灯りを消した部屋でヘッドホンをつけ、一度も映画を中断することなく観れたのは、自宅でホラーを観る環境としてはこれ以上ない条件だと思う。

怪現象の原因はなんなんだ?

ホラー映画では、必ず怖いことが起こる。では、怖いことは何故起きるのか。 その理由はそれぞれの映画によってさまざまであって良いのだと思うのだけど、この映画の特徴の一つは、怖いことが起こる理由が最後に明かされることだろう。 例えば、狂った一家に出会ったことがきっかけで恐ろしい目に遭うこともあれば、悪霊を復活させてしまうことで惨事に巻き込まれることもある。他にもこのように禁忌に触れることによって引き起こされる恐怖を描いた映画は多いが、いずれも禁忌を破った時点で怖さの原因が判明する。

最後に種明かしをする映画がないかといえばそうでもない。『シックス・センス』では最後の最後で主人公が恐ろしい目に会ってきた理由が明かされている。

原因が継承されている?

タイトルにもなっているように、もう一点の特徴は怖いことが起こる原因の継承の仕方だろう。

観る前には継承というタイトルから、祖母に取り憑いていた悪霊が家族の誰かに取り憑くものかと想像していた。想像していた内容と映画の内容とで、それほど相違はないように思えるが大きく違うのは、原因に捉えられたときに死ぬか否かの違いだ。殺人鬼であれ、悪霊であれ、狙われた人物は捉えられたときに殺される。そして殺人鬼の対象は次へと移る。しかしながら、この映画では捉えられたときに死ぬことが出来ない。

映画内では描かれていないが、捉えられた後に今までとまったく違う生き方を肯定的に捉えられなければ死ぬまで辛い時間を過ごすことになる。死が救いとならないのだ。

恐ろしいことが起こったその後

恐ろしいことが起きた。 今までと違った価値観を生きることになった。今までとは違うが、まわりには祖母と母もいる。そのような今まで想像もしなかった環境に置かれたとき、どのように生きていくか、そう問いかけるような映画ではないだろうか。