2020年5月17日日曜日

陳楸帆の『荒潮』は変わらなさを描いている

この小説はいろいろな要素が入り組んでいて複雑に見える。だが、あらすじは複雑ではない。社会の最下層の人間が、事故によって超人的な能力を得るが、何も出来なかったというのがあらすじだろう。 では、何が複雑に見せているのかといえば、世界の設定が複雑に見せているのだろう。読んでいても本当に必要な設定なのか疑問に思うものも多かった。それでもその設定を小説に組み込むのだから、著者はそれが必要だと思っているのだろう。

物語の舞台となる固定された島の状況

物語は、米国からの廃棄物処理場と化している中国領シリコン島へ、ゴミのリサイクル業者の調査員がやってくるところから始まる。シリコン島の産業はすでにゴミのリサイクル事業で成り立っていて、送られてくる産業廃棄物を断る権利はなく、主体的に産業を選ぶことが出来ない状態が長く続いている。くわえて、島の御三家と呼ばれる有力者たちが廃棄物処理産業を牛耳っており、事実上島を治めている。いわゆる三すくみの状態でパワーバランスを保っており、変化が起こりにくい状態になっている。では、外部からの力が島を変える可能性はないのかと考えるが、島のネットワークは規制され、外部との接続が制限されている。 島は外部から役割を決められ、住む日々も固定的で、外からの変化も期待できない状況が舞台となっている。

米米に起こる変化と起こらない変化

シリコン島のゴミから資源を探し出すことを生業としいる、米米(ミーミー)は島外からの移民だ。半ば騙されるように島に来て、ゴミ人として固定された米米は島から抜け出せなくなっている。その米米に大きな変化が起きる。産業廃棄物に紛れ込んだウィルスによって超人的な力を得る。思考能力が高まり、意識を外部ネットワークに接続でき、果てはロボットの体を操ることまでできるようになる。やりたい放題だ。 そんな能力を手に入れても米米にはこの島と自分の運命を変えることが出来ない。固定して変化がない救いのない島を変えられる能力のように思えるのに、何も変えられない。どれほどの能力があっても個人の力では社会は変えられないということを描きたいのだろうか。変えられない設定は、島の成り立ちで徹底して描かれている。

そして突拍子のない提案をした。「世界を変えてみない?」スウッイーは言った。
陳 楸帆著,『荒潮』早川書房,2020,334頁

米米と恋に落ちた中国人青年が物語の最後に声をかけられるのが「世界を変えてみない?」というのが、この小説が変わること/変わらないことに注力していることを表していると思う。