2021年11月18日木曜日

『中世の異端者たち』と『宗教改革とその時代』を読んで

マルティン・ルターの指摘によって教会の腐敗が改善された結果、より良いものとしてプロテスタンティズムが現代まで続いているのだと思っていたのだが、どうやらそうではなかったようだ。

指摘は過去から行われている

カトリック教会の腐敗を指摘したのはルターが初めてではない。 『中世の異端者たち』によれば、教皇グレゴリウスによる11世紀のグレゴリウス改革ですでに教会の腐敗は内部から指摘されている。16世紀にルターが「95カ条の論題」を書き教会の腐敗を訴えるまで、多くの異端が生まれている。 グレゴリウス改革から生まれたとされる、ヴァルド派。肉体を悪と見る、ボゴミル派。そこから派生したカタリ派。千年王国主義、自由心霊派など。それらの派は異端とされ、十字軍を送ってまで撲滅されているものもある。

ルターの主張が取り上げられた背景

では、ルターの主張は正しいから、受け入れられたのかというと、そうではなさそうだ。 『宗教改革とその時代』によれば、主権国家の発生とともに、ルターの主張を利用してカトリック教会の影響力を弱めようとした背景があるようだ。国王の正当性を教皇が担保する仕組みでは、教皇の権力は大きくなるばかりだ。そこで、国王の正当性を神が直接担保する王権神授説を取りいれ教皇の力を弱めたい。そこで利用されたのがルターとなる。

プロテスタンティズムの影響は

ルターの指摘した免罪符は善行を積めば救済されるというカトリック的な思想が現れている。ルターは救済の主体は神の側にあり、善行を積んでも救済されるかどうかはわからないという思想だ。 現在にどのような影響があるのか、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読まなくてはならないだろう。