2021年12月17日金曜日

『修道院にみるヨーロッパの心』を読んで

朝倉文市著『修道院にみるヨーロッパの心』を手に取ったとき、修道院のことをまったく知らないことに気づいた。修道院という施設とそこで暮らす人々の姿は本や映画で目にしたことがある。以前観た『薔薇の名前』の舞台として描かれていて、どのような暮らしをしているかなんとなく覚えている。 だが、なんのための修道院なのかとなるとはっきりしないのだ。

修道のはじまり

まず修道士・隠遁者としての苦行が生まれた経緯は複雑だ。 苦行は神に到達するための手段であるようなのだが、苦行が生まれる前、神に到達する手段は他にもあった。それが、キリスト教への迫害による殉教である。だが、ミラノ勅令によりキリスト教が認められると、迫害がなくなり殉教するものがいなくなる。そのため、苦行をすることで神への到達を目指す修道士が生まれたようだ。 聖人として神へ到達する手段が他者からの迫害による殉教しかないのか確認の必要があるが、自らの苦行による神への到達という自主的な手段が生まれたのは良いことのようにも思える。 自主的な苦行はすでにしていたのかもしれない。

共生生活における戒律

苦行を一緒に行う共同体として、エジプトに修道院が生まれる。 その後、聖ベネディクトゥスによって6世紀ほどに作られた戒律は、クリュニー修道院、シトー会修道院、ドミニコ会へと連綿と続いていくことになる。ベネディクトゥス戒律の中心には次のような思想がある。

学問を一度は体験し、軽んじることはないが、神の国のためにそれを放棄し、超越するということです。
朝倉文市著,『修道院にみるヨーロッパの心』山川出版社,1996,21頁

さまざまな修道会が生まれる

修道院の規模が大きくなり、町中の教会へお布施をするよりも、修行をしている修道院へお布施をする人々が増えてくる。修道院でも贅沢をするようになり、もっと厳しい修行へ向かう人々が別の修道会を立ち上げることが多いようだ。 修道会の役割としては、改宗したカタリ派の人々が住むための修道院を建てたドミニコ会や、巡礼者のための病院としての騎士修道会がある。 神殿騎士修道会は、全会員が逮捕・財産を没収され異端審問にかけられ火刑にされている。それだけ、経済力と影響力があったことの証だろう。

読み終えて

修道院の目的は、神へ到達するための苦行の場ということで、おおまかにわかった。さまざまな修道院があり、それぞれに特色があるようで、ひとまとめにしての判断は難しいという感想だ。『中世の異端者たち』と『宗教改革とその時代』に続けて読んだことで、深く広く理解が出来てたのではないかな。