2017年9月2日土曜日

日本で『テヘランでロリータを読む』を読んで

読むきっかけ

自分の考えの源泉を辿っていくと、生まれ育った環境より遡れないのではないかという思いから、現在の日本とまったく違う価値観の世界への興味で手にとった。一歩外へ出てみなければ、今いる場所が見えないのではないかと思ったからだ。
テヘランでロリータを読む(新装版)
アーザル・ナフィーシー
白水社

ロリータとは誰なのか?

著者はイラン出身の欧米で教育を受けた英文学者で、欧米の影響を大きく受けた日本で育った私と条件は大きくは変わらないかもしれない。であれば、イランを見る視点も共感出来ることが多いはずだ。
『ロリータ』の物語の悲惨な真実は、いやらしい中年男による十二歳の少女の凌辱にあるのではなく、ある個人の人生を他者が収奪したことにある。

アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』白水社, 2017, 53頁
チャドルやスカーフの着用が義務付けられたイランの一室で読むロリータは、女性たち自身のことが書かれているようにしか読めないだろう。もちろんその読みは敷衍することが出来て、男性女性を問わず多かれ少なかれどこに生きている人にも当てはまるだろう。

変わる日常

イスラーム革命後のイランでロリータを読む第一章に続き、革命の最中を描いた第二章、イラン・イラク戦争を描いた第三章と続いていく。既にイスラーム革命が起こって時間の経過した第一章と異なり、第二章、第三章は、徐々に変わっていく環境が描かれる。
女性はチャドルやスカーフを着用しなくてはいけないという規則がつくられ、女性の反対にもかかわらず、いかにして実施されたいったのかが描かれる。規則を守らなければ職場の入り口で看守に止められることから始まり、最後は鞭打ちのうえ牢獄行きになる。

理解の地平面

私はそのような変化を理解出来ないが、変化後の世界を求めている人々が少なからずいるということにも納得はいかない。この納得のいかなさは、私が生まれ育った環境で育まれた考えの結果なのだろうか。だとすれば、もし私がテヘランで生まれ育てば私もイスラーム革命後の世界を求め、今の私の考えを理解しないだろう。
私はイランで生まれた私のおかしな点は指摘することが出来る。
だけど、私は日本で生まれた私のおかしな点は指摘することが出来ない。
その指摘できない点はどうしたら可視化できるのだろう。
語れなかった物語: ある家族のイラン現代史
アーザル ナフィーシー
白水社
2017年6月3日土曜日

『ゼンデギ』でテクノロジーは負けたのか。

ゼンデギ (ハヤカワ文庫SF)
グレッグ イーガン
早川書房
売り上げランキング: 141,542

イーガンの『白熱光』を読んだあとに、『クロックワーク・ロケット』を読み始めたら、思ったよりもハードなSFで、ちょっと気分転換に少し軽めのSFにしようと思って『ゼンデギ』を読み始めた。読み始めたところで、舞台がイランだということを知って少しイランについて勉強しようと思ったら、なかなかゼンデギに戻ってこれなくなってしまった。イスラム教やイランの歴史などはとても勉強になったけれど、結論から言えば『ゼンデギ』にはそれほど必要な知識ではなかったかな。

『ゼンデギ』で描かれる世界

テクノロジーは、イーガンの小説では低いほうのレベルにある。物語の舞台は2012年と2027年のとても近い未来だからだ。
物語の中心となる人物は、脳の活動をスキャンして、なんとか人間の一部の特性を抽出しようとしている。仮想ゲーム内のキャラクターにサッカー選手たちの特性を取り込んで、誰でもスター選手と対戦できるようになる夢のゲームだ。キャラクターはあくまでサッカー選手の技術を模倣したものであって、選手そのものではない。
ここではまだ、人間は完全にはスキャンされてデータとして生きていないし、グレイズナー・ロボットとしても生きていない。つまり、まだ人間が現実の生を生きるしかない世界を舞台にしているということだ。

つぎの一歩へ踏み出すきっかけ

まだ現実の生しかない世界で、主人公のマーティンは自分の余命が少ないことを知り、不完全なスキャンの自分を、残される身寄りのない息子への親代わりとすることを試みる。
もちろんマーティンにも友人はいて、息子の親代わりになるという約束もしている。けれど、オーストラリア生まれのマーティンにとって、異文化であるイランの友人のすべてを理解できていない不安があり、そこが親代わりとしてスキャンをしようという決意につながっている。舞台がイランである積極的な理由が他にわからなかったので、ここを納得できればイランのことを知っていなくてもこの小説は楽しめるはずだ。
単なるサッカーの技術から、人格の一部を切り取るような次の一歩を踏み出す理由としては納得できる。

テクノロジーは負けたのではなく

『順列都市』、『ディアスポラ』など、多くのイーガンの小説に登場するデータとしての人間の誕生のきっかけが描かれているのかと思ったが、そうではなかった。LPレコードのデジタル化と同様に、脳スキャンもうまくいかない。さらにイーガンお得意のよくわからない団体が出てきて、この脳スキャンプロジェクトへ妨害と警告をする。

もしなにかを人間にしたいなら、人間まるごとをお作りなさい。

グレッグ・イーガン『ゼンデギ』ハヤカワ書房、2015、549頁

今まで、イーガンの小説に登場するデータとしての人間には初期のバージョンがあり、その初期のバージョンにはなんらかのデータの抜けがあるのではないかと不安だった。その抜けは後世の技術で補完されるのかもしれないが、それでは補完前と後では、別のものになってしまう。
そんな不安はイーガンの小説内ではありえないことを、テクノロジーがそこまで進歩するまで人間をスキャンすることはゆるさない団体がいることを保証した小説なんじゃないかと思う。