イーガンの『白熱光』を読んだあとに、『クロックワーク・ロケット』を読み始めたら、思ったよりもハードなSFで、ちょっと気分転換に少し軽めのSFにしようと思って『ゼンデギ』を読み始めた。読み始めたところで、舞台がイランだということを知って少しイランについて勉強しようと思ったら、なかなかゼンデギに戻ってこれなくなってしまった。イスラム教やイランの歴史などはとても勉強になったけれど、結論から言えば『ゼンデギ』にはそれほど必要な知識ではなかったかな。
『ゼンデギ』で描かれる世界
テクノロジーは、イーガンの小説では低いほうのレベルにある。物語の舞台は2012年と2027年のとても近い未来だからだ。
物語の中心となる人物は、脳の活動をスキャンして、なんとか人間の一部の特性を抽出しようとしている。仮想ゲーム内のキャラクターにサッカー選手たちの特性を取り込んで、誰でもスター選手と対戦できるようになる夢のゲームだ。キャラクターはあくまでサッカー選手の技術を模倣したものであって、選手そのものではない。
ここではまだ、人間は完全にはスキャンされてデータとして生きていないし、グレイズナー・ロボットとしても生きていない。つまり、まだ人間が現実の生を生きるしかない世界を舞台にしているということだ。
つぎの一歩へ踏み出すきっかけ
まだ現実の生しかない世界で、主人公のマーティンは自分の余命が少ないことを知り、不完全なスキャンの自分を、残される身寄りのない息子への親代わりとすることを試みる。
もちろんマーティンにも友人はいて、息子の親代わりになるという約束もしている。けれど、オーストラリア生まれのマーティンにとって、異文化であるイランの友人のすべてを理解できていない不安があり、そこが親代わりとしてスキャンをしようという決意につながっている。舞台がイランである積極的な理由が他にわからなかったので、ここを納得できればイランのことを知っていなくてもこの小説は楽しめるはずだ。
単なるサッカーの技術から、人格の一部を切り取るような次の一歩を踏み出す理由としては納得できる。
テクノロジーは負けたのではなく
『順列都市』、『ディアスポラ』など、多くのイーガンの小説に登場するデータとしての人間の誕生のきっかけが描かれているのかと思ったが、そうではなかった。LPレコードのデジタル化と同様に、脳スキャンもうまくいかない。さらにイーガンお得意のよくわからない団体が出てきて、この脳スキャンプロジェクトへ妨害と警告をする。
もしなにかを人間にしたいなら、人間まるごとをお作りなさい。
グレッグ・イーガン『ゼンデギ』ハヤカワ書房、2015、549頁
今まで、イーガンの小説に登場するデータとしての人間には初期のバージョンがあり、その初期のバージョンにはなんらかのデータの抜けがあるのではないかと不安だった。その抜けは後世の技術で補完されるのかもしれないが、それでは補完前と後では、別のものになってしまう。
そんな不安はイーガンの小説内ではありえないことを、テクノロジーがそこまで進歩するまで人間をスキャンすることはゆるさない団体がいることを保証した小説なんじゃないかと思う。