地元の図書館の新刊コーナーに置いてあってふと目にとまったので、私の今の気分とあっていたのだろう。今まで政治の本はほとんど読んだことがない。恥ずかしい話だが、政治と自分自身の関連というかつながりをあまり感じていなかったのだ。この本を手に取ったということは、ようやく政治が自分へ影響を与えていることを実感できるようになってきたということだろうか。
新潮社
政治のことがわかってないから読んで見る
読む決め手となったのは、ペルーのアルベルト・フジモリが、アドルフ・ヒトラーや、ウゴ・チェベスと並べられている記述を見つけたことだ。日系人として親しみを持っていたフジモリが独裁者として語られていることに驚いた。過去に報道で観た記憶はあるが、独裁者として強い印象は残っていなかった。同じアジア人として知らぬ間にバイアスがかかっていたのだろう。
2019年現在の世界の政治はとても不安定に思える。なんの知識も持たずに報道やネットの意見を目にしても正しい判断が出来るようには思えない。正しい判断の一助になればと思い、手にとった。
アメリカにおける選挙制度の問題点
本書のはじめでは、クーデターで権力を得たのではなく、正当な選挙で選ばれた人々がどのようにして独裁者になっていったのかを、各国の独裁者を見ていくことで共通点を見出している。政治の世界がエリートたちによって腐敗し、庶民のものではなくなっているように人々が感じているときに、庶民の手に政治を取り戻そうと政界の外からやってくるものが独裁者になる傾向がある。
アメリカでは、大統領予備選挙に拘束力がなかったことが、そのような人々の当選を防いでいたようだ。各党が予備選挙の結果と別の視点も含めて最終的に大統領候補を選ぶことで、大衆に人気があるだけでは大統領候補になれない仕組みとなっていた。しかし、1972年に予備選挙の結果に拘束力がともなうようになり、人気だけで大統領候補となることが出来る制度へと変わった。
ドナルド・トランプは、この制度変更がなければ大統領候補になることもなかったのだろう。
アメリカだけでない政治の問題点
中盤から後半にかけて、予備選挙の更拘束力だけでなく、相互的寛容や組織的自制心がなくなっていくことで、民主主義に危機が迫っていることを見ていく。
不寛容になることで政党がライバル関係から敵対関係へ移行する。敵対関係にある政党への攻撃が始まる。ライバルから敵になることで攻撃が強まる。本来は国を良くするようにお互いに敬意を持たなければならないはずなのに、敵とみなすことで自制心がなくなってしまうということだろう。考え方の違う人々の対立が進み、社会の分断が起き、二極化が進んでいく。
この二極化は、日本を含め世界的な流れのように思える。そのような流れは最近はじまったものではなく、1970年代から徐々に進んでいるようだ。
ドナルド・トランプの当選は、流れの結果でしかないようだ。
民主主義を脅かしているもの
不寛容こそが民主主義を脅かしているように思える。
人類の歴史のなかで、多民族の共存と真の民主主義の両方を成し遂げた社会はほとんど存在しない。S・レビツキー、D・ジブラット『民主主義の死に方』, 新潮社, 2018, 275頁
この言葉を読むと、寛容でなければ民主主義を実現することが出来ないことがよくわかる。