うしろめたさの人類学 /ミシマ社/松村圭一郎
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人類学とはなんだろう
『うしろめたさの人類学』を読んだ。人類学についての本を読むことが初めてなので、人類学とはどんなものなのかも曖昧だ。
多くの人類学者は、世界の片隅で起きている小さな出来事に立ち会って、その場所から世界の成り立ちを理解することに情熱を傾けてきた。これが人類学の定義というわけではないだろうけど、人類学が何をしているのかは説明してくれている。世界の成り立ちを理解しようとしているのだ。そして『うしろめたさの人類学』では、エチオピアと日本というそれぞれの世界の片隅で起きている出来事から世界の成り立ちを理解しようとしている。松村圭一郎著,『うしろめたさの人類学』,ミシマ社,2017,93頁
うしろめたさは人類学とどう関わってくるのか
エチオピアでの滞在の内容を読む限り、経済的には日本のほうがかなり恵まれているようだ。だが、弱者へ手を差し伸べる機会は、圧倒的な豊かさを前提にしても日本よりもエチオピアのほうが多い、という点が考えるきっかけとなっている。手を差し伸べる頻度の違いを、商品交換と贈与の話をもとに考えた上で、今いる環境の中で行動を変える手段として「うしろめたさ」を提案している、ということだろう。
今の社会制度をすぐに大きく変えることはできない。その中で、各人が出来ることとして、「うしろめたさ」を変化するための足がかりとしたのは、個人が行動を変えることで社会全体を変えることが出来るということを示すためだろう。なんの後ろ盾もない「うしろめたさ」という感情を起点として社会を変えていく。人々の関係の中で作られた社会だからこそ、人々が自律的に変われば社会も変わるということなのだろう。
市場や国家という制度によって分断され、覆い隠されているつながりを、その線の引き方をずらすことで、再発見すること。そしれそこに自律的な社会をつくりだすこと。それがこの本でたどりついたひとつの結論かもしれない。ここでたどりついている結論が、著者の主張している「構築人類学」そのものということになるだろう。松村圭一郎著,『うしろめたさの人類学』,ミシマ社,2017,185頁
構築人類学とは
いまここにある現象やモノがなにかに構築されている。だとしたら、ぼくらはそれをもう一度、いまとは違う別の姿につくりかえることができる。(略)。その希望が「構築人類学」の鍵となる。松村圭一郎著,『うしろめたさの人類学』,ミシマ社,2017,17頁
「構築人類学」は、現状を分析するだけではなく、「うしろめたさ」などの社会を変えるための手段を見極めて、社会をより良く変えていくことを目的としているようだ。 だから、誰にもでもわかる「うしろめたさ」を変化の起点としなければならなかったのだろう。