2023年3月18日土曜日

『ソクラテスの弁明』を読んだ。

先日SteamDeckを購入した。Steam用のゲームをするためのモバイルゲーム機だ。Steamのセールになる度に衝動買いをして積んだままのゲームをやらなければと思い購入したものだ。 積んでいたゲームの中に『Assassin's Creed Odyssey』があった。紀元前430年のギリシアを舞台にしたゲームだ。旅行で行ったギリシアの街並みを観ることも出来るかもしれないと、ゲームを開始した。ゲームを進めるとともに、この時代に生きているソクラテスのことを知らなければいけないと思いが募り『ソクラテスの弁明』を手にとった。

告発された理由

『ソクラテスの弁明』は、紀元前390年頃、ソクラテス自身が告発された裁判で、自分自身のことを<弁明>する話である。告発された内容としては不敬神、つまり神を敬っていないから、ということになるのだろうか。裁判の手順としては、不敬神に当たるのかが裁かれ、その後、刑罰を決めるというに段階の手順になる。そしてそれぞれの段階でソクラテスは弁明をしていく。

不敬神への弁明は、告発者との対話によって、告発者の話の間違いを正すことで、不敬神には当たらないと弁明する。これは、ソクラテスが普段から行っている対話を再現するものだろう。対話によって、告発者や対話者が知っていると思っていたことが、実は知っていると思っているに過ぎなかったことが明らかになる。これによって、ソクラテスは対話者の「不知」を暴くことで恨みを買い、告発されるまでになっていったのであろう。

古くからの告発と新しい告発者への告発の2つへの弁明となっているのが素晴らしい。古くからある告発の内容を吟味せずに、今回の告発が行われいるということを明らかにしていく。実際に恨みを抱いたものからの告発でなく、古くからある評価を検討することなく鵜呑みにして、新しい告発が行われているさまが描かれる。

ここでは、対話を始めるきっかけとしての「デルフォイの信託」の話が描かれている。「最高の知者」としてのソクラテスの話だ。

死刑を避けない

ソクラテスは、古くからの告発者たちの「知らないことを自覚していない」ことを暴き、告発を受けている。だから、ソクラテスは死を「知らない」と自覚しているが故に、死を恐れてはいけない。だから死刑を避けてはいけないのだと思う。 有罪であると決まったあと、告発者が求めている死刑に対し、ソクラテスが対案としての刑罰を提案する。ソクラテスが提案する刑罰は食事だ。食事をする刑罰なんて聞いたことがないが、自分の非を認めていないソクラテスは食事を提案する。それはあんまりだといういうことで、裁判所に来ていた仲間たちが罰金刑へと促すのだが、死刑となる。

納冨信留さんの解説が素晴らしい。現代に通じる話であり読みにくい話ではないが、時代背景がことなるので詳しい解説が理解の助けになった。とくによく知られている「無知の知」についての解説がよかった。

ソクラテスが「知らないと思っている」という慎重な言い方をしていて、日本で流布する「無知の知」(無知を知っている)といった表現は用いていない点である。
プラトン,『ソクラテスの弁明』,光文社,2022年,位置1429

「不知」は「知らないこと」で、「無知」は「知らないこと/不知」を自覚してない、状態。「知らないこと/不知」を自覚していない状態を「思い込み」(ドクサ)と呼ぶ。知らないことを自覚していない状態、「無知」が最悪の恥ずべき状態。 「無知の知」では、「知らないことを自覚していないことを知っている」になってしまう。

2023年3月5日日曜日

『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』は未来を舞台にしているが、今の時代を描いている。

図書館に行ったときには、いくつかの新聞の書評欄を読むようにしていて、その中でも読売新聞の書評で興味を持ったのが『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』だった。

ダンサーの主人公は交通事故で右足を失い、踊りを諦めていたのだけれど、AIを搭載した義足とともに再び踊ることに挑戦する、という話だ。ただ、歩けるようになるだけでなく、AIがダンスという芸術を表現するようになる、という点が『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』なのだろう。護堂恒明は、自身の踊りを理解するようにAIを訓練していく。

言語を介さないコミュニケーション

ここからいくつかの話が立ち上がってくる。恋人との出会いと、踊りの師匠でもある父親の認知症だ。 父親は自らの事故で恒明の母親である妻を喪ったことをきっかけとして、認知症の進行が進んでゆく。恒明は父親を踊り手として尊敬しているが故に、コミュニケーションをとってこなかったことを後悔する。認知性が進行してゆき、もはや正常な会話が成り立たないような状況でも、体が覚えていた踊りによるコミュニケーションは出来た。恋人と会うシーンはあまり描かれない。普段の連絡は主に端末によるメッセージのようだ。恋人との心情は実際に会っているときに、言葉ではなく食事中の所作などで、お互いに言葉を介さないコミュニケーションをしている。

プロトコル・オブ・ヒューマニティとは

この、言葉を介さないコミュニケーションの大きさを伝えるのが本書のテーマで、タイトルである『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』になるのだろう。 新型コロナウィルスによる影響で、オンラインでのやり取りが増え、対面で会話をする機会が減った。この小説は、人間とはなにかという普遍的なテーマと、人は会うことでどんな情報のやり取りをしていたのかという同時代的なテーマを表現している。『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』は未来を舞台にしているが、今の時代を描いている。