図書館に行ったときには、いくつかの新聞の書評欄を読むようにしていて、その中でも読売新聞の書評で興味を持ったのが『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』だった。
ダンサーの主人公は交通事故で右足を失い、踊りを諦めていたのだけれど、AIを搭載した義足とともに再び踊ることに挑戦する、という話だ。ただ、歩けるようになるだけでなく、AIがダンスという芸術を表現するようになる、という点が『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』なのだろう。護堂恒明は、自身の踊りを理解するようにAIを訓練していく。
言語を介さないコミュニケーション
ここからいくつかの話が立ち上がってくる。恋人との出会いと、踊りの師匠でもある父親の認知症だ。 父親は自らの事故で恒明の母親である妻を喪ったことをきっかけとして、認知症の進行が進んでゆく。恒明は父親を踊り手として尊敬しているが故に、コミュニケーションをとってこなかったことを後悔する。認知性が進行してゆき、もはや正常な会話が成り立たないような状況でも、体が覚えていた踊りによるコミュニケーションは出来た。恋人と会うシーンはあまり描かれない。普段の連絡は主に端末によるメッセージのようだ。恋人との心情は実際に会っているときに、言葉ではなく食事中の所作などで、お互いに言葉を介さないコミュニケーションをしている。
プロトコル・オブ・ヒューマニティとは
この、言葉を介さないコミュニケーションの大きさを伝えるのが本書のテーマで、タイトルである『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』になるのだろう。 新型コロナウィルスによる影響で、オンラインでのやり取りが増え、対面で会話をする機会が減った。この小説は、人間とはなにかという普遍的なテーマと、人は会うことでどんな情報のやり取りをしていたのかという同時代的なテーマを表現している。『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』は未来を舞台にしているが、今の時代を描いている。