山川出版の大津留厚著『世界史リブレット ハプスブルク帝国』を図書館で借りているさなかに、知人から『エリザベート TAKARAZUKA25周年スペシャル・ガラ・コンサート』を一緒に観ないかと提案をされた。調べるとエリザベートとは、皇帝フランツ・ヨーゼフの妻とのこと。皇后エリザベートの生涯を描いたミュージカルを宝塚が公演しているようだ。公演を観るまでに読み終えれば、理解も深まるだろうと読み進めた。
皇帝の話ではない
結果としては、本文中に皇帝フランツ・ヨーゼフの記述は出てくるが、皇帝一家の話が中心になっているわけではなくエリザベートに関して言えば触れられてもいない。ハプスブルク家というと皇帝の話かと思いがちだが、そうではなかった。皇帝一家のお家騒動の話を主題に置いてはいなかったが、エリザベートをとりまくオーストリアとハンガリーの状況を観劇前に理解できたのは良かった。
中心となる時代
『ハプスブルク帝国』で扱う時代は、ハプスブルク家領がオーストリア帝国を名乗ってからが中心といっていいだろう。オーストリア帝国の成立は1804年。現在のオーストリア、ハンガリー、チェコ、クロアチアを含む地域において、各々の民族主義が高まり、言語による文芸復興が起こる。民族と文芸復興という組み合わせが面白い。ハンガリーではハンガリー語、ボヘミアではチェコ語、クロアチアではクロアチア語による文芸復興がそれぞれ起こり、話者が自らのことをハンガリー人、チェコ人、クロアチア人という認識をしはじめるということになる。
民族が力を持つように
1848年革命で、ハンガリーは議会制内閣を得て、自治政府を樹立する。同様に、クロアチアも自治政府を樹立しようと試みるが、オーストリア皇帝の承認は得ることができたが、ハンガリー国王の承認を得ることができず、自治政府の樹立を実現できなかった。ハンガリーとクロアチア、同じハプスブルク帝国内で軍隊の対立が発生することとなる。 どのような経緯でアウグスライヒ体制となったのかはいまいち理解ができていない。ハンガリーの民族主義の高まりに応じてハンガリー=オーストリア体制になったのかもしれない。まず、オーストリア政府とハンガリー政府がそれぞれあり、オーストリア皇帝とハンガリー国王をハプスブルク当主が兼ねている、という状況自体想像するのは簡単ではない。
第一次世界大戦へ
帝国内部で沸き起こる民族主義の波をやりすごすため普通選挙を実現したというのに、サライェボにおいて皇位継承者フランツ・フェルディナンドが暗殺されることで、第一次世界大戦へ突入していくのは、なんとも皮肉な話だ。帝国内部への対応はなんとか凌いでいたのに、周りの諸外国はつけいるタイミングを見過ごさなかったのだろう。 ハンガリーやクロアチアの人々は、ハプスブルク帝国からの独立を求めていただろうに、どのような気持ちで総力戦に挑んでいたのだろうか。やるせない気持ちになる。
山川出版の世界史リブレットシリーズをもう少し読んでみようと思う。