2019年12月30日月曜日

パオロ・バチガルピの『ねじまき少女』を読んで

ねじまき少女(上)
ねじまき少女(上)
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『ねじまき少女』の世界を理解するのは一筋縄ではいかなかった。とても複雑に思えたからだ。今の世界と大きく異なる点がいくつかあり、それらが相互に影響しあって絡み合っていて、それを解きほぐすのには骨が折れた。

タイ人と西洋人の対立

『ねじまき少女』の世界では、病原菌により特定の植物しか育てられなくなっている。舞台となっているタイでは環境省が輸入品を厳しく取締っているが、西洋人は病原菌に耐性のある食物でタイと取引をしている。多くの人が満足な食事が出来ていない状態だ。
病原菌の蔓延は石油燃料の枯渇とも関係があるのかもしれない。石油が枯渇したためエンジンは使えなくなり、地上での主な移動手段は人力車や自転車だ。エンジンのかわりとなる動力としてゼンマイを利用してもいる。ゼンマイなので利用するには巻く必要があるが、巻くのは遺伝子操作されたメゴドンドという動物の役割である。新しい動力を生み出すにはメゴドンドの餌となる食物が必要で、病原菌に耐性のある食物を作る企業はカロリー企業と呼ばれている。石油があった時代と比べると、効率的に利用できるエネルギーが少なく、不便な世界だ。
農作物を作る西洋人のカロリー企業が食品産業とエネルギー産業を一手に担っている。タイにある絶滅した植物の種子バンクを巡って、西洋人とタイ人が争っている格好になる。

少数派となり苦しむ中国人と日本人

タイ人と西洋人の他に中国人と日本人も描かれる。中国人はマレー半島で難民となりタイへ辿り着く。日本人と呼べるかわからないが、遺伝子操作で毛穴が見えないほどの肌をもつねじまき少女は日本製だ。ねじまき少女は遺伝子操作で動きがおかしく、主人に従順な性質を植え付けられている。
タイ人と西洋人の争いが中心に描かれている中で、少数派である中国人とねじまき少女は苦しみながらも、いかにして自分の人生を生きるかを見出していく。

第六ポンプ
第六ポンプ
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パオロ・バチガルピの短編集『第六ポンプ』には『ねじまき少女』と同じ世界観をもつ「カロリーマン」と「イエローカードマン」が収録されている。もう少し世界観を理解するためにもそちらも読んでみよう。

2019年11月2日土曜日

テッド・チャンの「オムファロス」の面白く感じるところ

妻が図書館近くの美容院へ行くというので、私も図書館まで行って本を読みながら待つことにした。仕事が一段落ついたので、久しぶりに本を読む余裕が生まれていた。書架を眺めながら歩いているとSFマガジンが目に止まった。テッド・チャンの新作が掲載されているのをすっかり忘れていた。妻が戻ってくるまでの間に読めるだろうかと不安と期待が入り混じった状態で手にとった。

こんな話

小説は、ほとんど現実の地球と変わらない世界を舞台としていたが、主人公は考古学者で熱心な宗教の信者でもあった。主人公は遺跡やミイラの年代を調べるとともに、年輪がない最初の世代の木や、へその緒のない最初の人間を見つけているようだ。その最初こそが神が世界を創った証拠であると。なるほど。そうであれば、考古学者であり、信者であることは矛盾しない。
ある発見が大きな転機となる。天動説を体現している惑星<エリダヌス>の発見だ。どういうことか。主人公の住む地球は太陽の周りを回っている。天動説の惑星こそが、神が世界を創造した目的であり、地球はあくまで副産物に過ぎなかったということがわかるわけである。

面白く感じたところ

主への問いかけから始まる主人公へ、私は最初は共感出来なかった。だが、エリダヌスを見つけて神から見放されている状態に気づいたあたりから共感できるようになった。この気付きは小説の面白いところだ。主人公がずっと熱心な信者であれば、小説にこの面白さは生まれていない。そしてこの面白さはテッド・チャンは意識的に書いているはずだ。
年輪の始まりや、へその緒のない人間を神の証拠とし、地動説の惑星を神が地球を特別視していない証拠としているのもとても楽しい。杜撰な証拠を残してしまうのがとても人間らしい。そして文体もこの話にとって選びぬかれたものとなっている。結論が現代の人々の気持ちと相反しないのも良い。いくつものアイデアが整合性を保たれたまま小説をなしている。

妻の美容院から戻ってくる前に併録の「2059年なのに金持ちの子にはやっぱり勝てない。DNAをいじっても問題は解決しない」も読み終えることが出来た。もちろんこちらも面白い。

2019年6月19日水曜日

『ファクトフルネス』は補正をしてくれる。

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣
ハンス・ロスリング オーラ・ロスリング アンナ・ロスリング・ロンランド
日経BP

補正方法を教えてくれる

『ファクトフルネス』というタイトルから、あなたはそう思っているかもしれませんが、事実はこうなっていますよと、教えてくれる本だと思っていた。だが、読んでみると、事実を教えてくれるということは当たっていたけれど、そこからもう一歩踏み込んでくる本だった。
事実はこうなっていますが、あなたをはじめ多くの人が事実と異なる認識をしています。認識の仕方を補正しないと事実を正しく見れませんよ、と事実からの補正方法を教えてくれる本だった。

両親の幼少期への補正

人は自分の経験したことを基準に考える性質があると思う。だから経験していないことは想像するしかない。両親から、5円玉を握りしめて買い物にいく思い出話を聞くたびに、自分が育った環境との差を感じながらも具体的にどれほどの差があるのかは想像もできていなかった。

わたしの母が生まれた1921年頃、スェーデンはいまのアフリカのザンビアと同じレベル2だった。母はある意味、ザンビア生まれと言えるだろう。
ハンス・ロスリング他著,『ファクトフルネス』,日経BP社,2019,75頁

このファクトフルネスの言葉に従えば、わたしの母が生まれた戦後間もない頃、日本はいまのアフガニスタンやマリと同じレベル1に属している。これは想像以上の貧しさだった。
わたしが生まれたとき、日本はレベル3にいて、わたしが物心がつく頃にはレベル4へ入る。30年ほどの違いで、ここまで差があるとは思ってもいなかった。

補正が必要な理由

『ファクトフルネス』の基準で考えると、わたしはレベル3とレベル4の世界しか知らない。今までの旅行で一番ギャップを感じたインドですらレベル2だ。両親の生まれた時の日本はレベル1である。考え方や生き方にも自ずと大きな違いが現れるだろう。
育った環境や、違いの程度を少しでも詳しく知ることが出来れば、寛容にお互いを理解しい合うことも出来るかもしれない。

2019年5月28日火曜日

『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』の中で食べたい物は?

ブータンの卵酒の話を読んで、行ってもいない『未来国家ブータン』の旅を懐かしく思い出した。コンゴでゴリラを食べた話を読んで、『幻獣ムベンベを追え』を読んでみようかという気になった。
『辺境メシ』を読んだからといって、他の本への興味が湧くことはあっても、他の本がつまらなくなることはなさそうだ。すでに読んだ本の情報を補完してくれるし、まだ読んでいない本には興味をそそらせて、読んでみようかなという気にさせてくれる。だから安心して手にとって良いと思う。

食で文化を知る

食べ物に重点を置いている本を読む傾向がある気がするのは、私の旅行も食べ物に重点を置いているからかもしれない。現地の文化を知るには現地の食べ物を食べないとわからない、という考え方が頭にある。もちろん、他にも現地の文化を知る手段はあると思う。現地のヤバそうなものを食べたからと言って、現地の文化を深く知れるかといえば、その時時に応じて答えは違うのではないかと思う。
文化を知りたいのであれば、この本より先に読むべき本があるはずだ。

食べてみたい料理

20カ国以上のさまざまな食材や料理の記録となっているが、私が一番食べてみたいのは中国南部の広西チワン族自治区に住むトン族の羊の胃液料理、ヤンビーだ。

厨房のポリバケツに入ったそれは、黒っぽい緑色をしていて、本当に草食動物が消化している最中の草という感じ。
高野秀行『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』文藝春秋,2018,199頁

ヤンビーはヤギが消化することで調理をしている。この胃液をベースに、草をろ過して具材を入れ調理して完成する。胃液を食べているのか草を食べているのか、消化の状態によって味も変わるだろう。ヤンビーを出す店は市内にいくつもあるあらしい。いろいろな店で食べてみたい。

2019年4月22日月曜日

『民主主義の死に方』を読んで、死にそうな理由がわかった気がする。

地元の図書館の新刊コーナーに置いてあってふと目にとまったので、私の今の気分とあっていたのだろう。今まで政治の本はほとんど読んだことがない。恥ずかしい話だが、政治と自分自身の関連というかつながりをあまり感じていなかったのだ。この本を手に取ったということは、ようやく政治が自分へ影響を与えていることを実感できるようになってきたということだろうか。

民主主義の死に方:二極化する政治が招く独裁への道
スティーブン・レビツキー ダニエル・ジブラット
新潮社

政治のことがわかってないから読んで見る

読む決め手となったのは、ペルーのアルベルト・フジモリが、アドルフ・ヒトラーや、ウゴ・チェベスと並べられている記述を見つけたことだ。日系人として親しみを持っていたフジモリが独裁者として語られていることに驚いた。過去に報道で観た記憶はあるが、独裁者として強い印象は残っていなかった。同じアジア人として知らぬ間にバイアスがかかっていたのだろう。
2019年現在の世界の政治はとても不安定に思える。なんの知識も持たずに報道やネットの意見を目にしても正しい判断が出来るようには思えない。正しい判断の一助になればと思い、手にとった。

アメリカにおける選挙制度の問題点

本書のはじめでは、クーデターで権力を得たのではなく、正当な選挙で選ばれた人々がどのようにして独裁者になっていったのかを、各国の独裁者を見ていくことで共通点を見出している。政治の世界がエリートたちによって腐敗し、庶民のものではなくなっているように人々が感じているときに、庶民の手に政治を取り戻そうと政界の外からやってくるものが独裁者になる傾向がある。
アメリカでは、大統領予備選挙に拘束力がなかったことが、そのような人々の当選を防いでいたようだ。各党が予備選挙の結果と別の視点も含めて最終的に大統領候補を選ぶことで、大衆に人気があるだけでは大統領候補になれない仕組みとなっていた。しかし、1972年に予備選挙の結果に拘束力がともなうようになり、人気だけで大統領候補となることが出来る制度へと変わった。
ドナルド・トランプは、この制度変更がなければ大統領候補になることもなかったのだろう。

アメリカだけでない政治の問題点

中盤から後半にかけて、予備選挙の更拘束力だけでなく、相互的寛容や組織的自制心がなくなっていくことで、民主主義に危機が迫っていることを見ていく。
不寛容になることで政党がライバル関係から敵対関係へ移行する。敵対関係にある政党への攻撃が始まる。ライバルから敵になることで攻撃が強まる。本来は国を良くするようにお互いに敬意を持たなければならないはずなのに、敵とみなすことで自制心がなくなってしまうということだろう。考え方の違う人々の対立が進み、社会の分断が起き、二極化が進んでいく。
この二極化は、日本を含め世界的な流れのように思える。そのような流れは最近はじまったものではなく、1970年代から徐々に進んでいるようだ。
ドナルド・トランプの当選は、流れの結果でしかないようだ。

民主主義を脅かしているもの

不寛容こそが民主主義を脅かしているように思える。

人類の歴史のなかで、多民族の共存と真の民主主義の両方を成し遂げた社会はほとんど存在しない。
S・レビツキー、D・ジブラット『民主主義の死に方』, 新潮社, 2018, 275頁

この言葉を読むと、寛容でなければ民主主義を実現することが出来ないことがよくわかる。