2023年12月2日土曜日

スティーブン・キングの『異能機関』を読んで。

スティーブン・キングの『異能機関』を読んだ。キングの小説を読むのは久しぶりだ。ホリー・ジャクソンの『自由研究には向かない殺人』三部作の読書体験が良かったから、ページをめくる手が止まらなくなるような本がまた読みたくなってきていたのかもしれない。期待に違わず、読み進むにつれてページをめくる手は止まらなくなった。

あらすじ

カバーの袖にはこう書かれている。

異能の少年少女を拉致する謎の機関〈研究所〉。
彼らは子供たちの超能力を利用して何を企図しているのか。
冷酷なるくびきから逃れるため、少年は知恵をめぐらせる。

主人公のルークは、12歳にして飛び級で大学進学をするような頭脳明晰な少年だ。その頭脳とは別に、テレキネシスの能力があり、その能力に目をつけられて、研究所に拉致されて来る。研究所には他にも能力を持つ子供が何人もいて、能力開発のために注射を打たれ、浴槽に沈められ、人権などない暮らしを強要されている。

『ショーシャンク』との違い

『ショーシャンクの空に』の主人公は元銀行員で、金融の知識によって刑務所長含め、刑務所で働く人々の信頼を得る。結果として、生活の質を向上させる。ある事件を経て、囚人と看守という関係を超えて築いていたと思っていた信頼関係は幻だっということがわかり、失意の主人公は脱獄を実行する。脱獄の手段は長い期間準備されている。チェスの手を読むのと同じで、次の手を読んでいる。そして友情だ。

『ショーシャンクの空に』と『異能機関』の間には多くの類似点を見ることが出来る。

『ショーシャンク』では、無実の罪で収容されていた主人公だが、刑務所は政府の機関として機能していた。そこに不正を見出すことで囚われている意味が失われて脱獄へと至る。 不正を行った所長は裁きにあう。

研究所とは何か

だが、『異能機関』では、捕らえる側の研究所に正当性が見いだせない。

主人公を拘束している機関が、国の後ろ盾がある刑務所から、世界各地にある巨大な組織だがどうも正当性が危うい研究機関に変わっている。これは大きな変化だと思う。

熱心なステイーブン・キングのファンというわけではないので、見当外れなことを言っているかもしれない。『シャイニング』も『ミザリー』も閉鎖空間を描いているという点では同じかもしれない。それぞれ主人公を捕らえている人々がどういう人なのかを考えてみるのも良いのかもしれない。

2023年11月25日土曜日

ジョー・サッコ著『パレスチナ』を読んで。

本書は、著者のジョー・サッコが1991年から1992年にかけての二ヶ月間を、イスラエルの占領地であるヨルダン川西岸とガザ地区で過ごした記録だ。ジョー・サッコ自身はオレゴン大学でジャーナリズムを学んだアメリカ人であるが、アメリカでの報道の偏りに気づいたことから、占領地に行こうと決めたとある。

私自身も最近、生活していて得られる情報に偏りを感じていた。きっと多くのことを学べるだろうと読み始めた。そして多くのことを学びすぎてしまった。

状況のわからなさ

本書は漫画であり、著者本人が占領地へ行くまでの歴史のことは漫画内では詳しくは描かれない。 前提知識がないと、パレスチナ人を突然襲う兵隊たちは誰なのか、なぜユダヤ人が銃を持ってパレスチナ人を威嚇するのか、パレスチナ人たちは誰に向かって石を投げているのかがすぐにはわからない。著者が、イスラエルから入国し、その後パレスチナへ移動する姿を追っていくと、その生活水準や環境の落差に驚くことになるが、なぜこれほどの差が生じているのかも、わからない。

このイスラエル、パレスチナ間で起きているすべてが、読んでいる読者だけでなく、住んでいるパレスチナ人にとっても不条理で意味のわからないものなのではないかと思えてくる。

パレスチナで起きていること

本書でのパレスチナはイスラエル軍の占領下にあり、パレスチナ人は正当な理由なく逮捕され、イスラエル人入植者のために家を壊され、土地を奪われ、拷問を受ける。対抗する手段は投石しかなく、投石をすると銃で撃たれる。第一次インティファーダ(民衆蜂起)の時期である。関税も公平でなく、イスラエル産のものに比べ、パレスチナ産のものには多くの税がかけられ不利な競争を強いられる。仕事はなく、イスラエルに行って仕事をするが、ここでも公正には扱われない。夜間外出禁止令があり、夜8時から朝4時までは外出禁止だ。

いったい何が起こっているのだろう。これは30年も前の話であり、少しずつでも状況は良くなっているのだろうかと不安に思っていると、2001年の完全版へのまえがきでは状況は悪くなっていると書かれている。

なぜ情報が入ってこないのか

これだけ、情報が溢れた世界で、今までなぜ知らなかったのだろう。興味がなかったからと言ってしまえばそれまでだが、興味がない情報も身の回りに溢れていることを考えれば、それ以外の理由があるのだろう。

世界にはもっとひどい不正義が存在していて、死体の山が築かれている場所があるとは聞いている。
ジョー・サッコ,『パレスチナ 特別増補版』,いそっぷ社,2023年

ジョー・サッコはこう言っている。私個人に、いったい何が出来るのだろうか。

漫画以外にも、エドワード・サイードとジョー・サッコ本人の、訳者の小野耕世の文章があり、理解を補ってくれる。パレスチナ問題略年表もある。この本のみでもパレスチナ問題を理解する第一歩には十分になりえると思う。

現在、戦闘が始まってから14,000人以上のパレスチナ人が死に、1,200人のイスラエル人が死んでいる。30年経って状況は改善されていない。

2023年4月3日月曜日

『パレードのシステム』の読書会に参加した

長野市で高山羽根子さんご本人がいらっしゃる読書会が開催されることを知り、急いで申し込んだ。まだ定員に達していなかったようで、なんとか参加できることになった。読書会自体、初参加であり、本を読んでいくかどうかすら知らなかった。確認したら課題図書を読んでいき、意見を掘り下げていくのが基本のようだ。読書会まで5日しかない。すぐにKindleで『パレードのシステム』を購入し読み始めた。

いくつかの重要と思える要素

きっかけとなる出来事は祖父の死と、それにともなう葬式だ。

死をきっかけに祖父の過去を知り、それを知るために行動することになる。葬式は記録に残りにくい、過去の風習が残るシステムとして描かれる。表題の『パレードのシステム』とは、葬式のシステムのことだろう。 祖父の遺品が台湾に関することであることがわかり、台湾出身の知り合いの梅さんに相談する。遺品の中に残っていた新聞などに、なにか祖父の過去の手がかりを求めてしまっていることに主人公はためらいも感じている。祖父は台湾で生まれたということがわかる。

父親の葬式へ出席するため帰国する梅さんとともに、主人公も台湾へ向かうことになる。梅さんの父の葬儀は日本の葬儀とは異なる。台湾の原住民の歴史も日本の歴史とは大きく異なる。例えば、好兄弟であり、出草であり。

カスミの死は、ピタゴラ装置で自死する仕組みである。ここでもシステムである。

システムによる生と死を描いているのではないか、というのがテーマを読み取った結果だ。『パレード』はもしかしたら生を現しているのかもしれない。

顔のテーマ

まだよくわからないのは、顔をテーマとしていること。主人公の芸術作品は顔をテーマとしている。誰のものでもない、でも誰かには似ているあるいはすべての人に似ている顔、としているので、これを小説に読み替えれば、誰のものでもない、でも誰かには似ているあるいはすべての人に似ている人生、という形になるのではないかとは思う。

台湾の原住民の間では、顔への入れ墨が民族を区別する印となっていたこともある。ペッパー君の顔認識、梅さんの祖父と父親の顔を覚える能力。台湾の鬼に顔と名前を一致されるのは縁起が悪い。

果たして、これで高山羽根子さんご本人もいらっしゃる読書会へ挑んで良いのだろうか。心配である。

読書会へ参加してみて

高山羽根子さんご本人から直接お話を聞けた、また感想を言えたのも良かった。参加者が10人の読書会で皆さんそれぞれの感想だったのもあるかと思うけど、多解釈できることが良いということをおっしゃっていた。「テーマは3つ」で、『首里の馬』もテーマは3つくらいということをおっしゃっていて、複数のテーマを1つのテーマに収束させようとしなくても良いのだと、少し読みの幅が広がったように思える。

ひとつだけ心残りなのは、同時開催されていた『高山羽根子手書きメモ展』で展示されたいたメモがどのように書かれていくのかを質問しなかったこと。メモがスケッチブックに貼られて、きれいな作品になっていたので、どのような工程で最後に目にした形になっていくのか気になった。

2023年3月18日土曜日

『ソクラテスの弁明』を読んだ。

先日SteamDeckを購入した。Steam用のゲームをするためのモバイルゲーム機だ。Steamのセールになる度に衝動買いをして積んだままのゲームをやらなければと思い購入したものだ。 積んでいたゲームの中に『Assassin's Creed Odyssey』があった。紀元前430年のギリシアを舞台にしたゲームだ。旅行で行ったギリシアの街並みを観ることも出来るかもしれないと、ゲームを開始した。ゲームを進めるとともに、この時代に生きているソクラテスのことを知らなければいけないと思いが募り『ソクラテスの弁明』を手にとった。

告発された理由

『ソクラテスの弁明』は、紀元前390年頃、ソクラテス自身が告発された裁判で、自分自身のことを<弁明>する話である。告発された内容としては不敬神、つまり神を敬っていないから、ということになるのだろうか。裁判の手順としては、不敬神に当たるのかが裁かれ、その後、刑罰を決めるというに段階の手順になる。そしてそれぞれの段階でソクラテスは弁明をしていく。

不敬神への弁明は、告発者との対話によって、告発者の話の間違いを正すことで、不敬神には当たらないと弁明する。これは、ソクラテスが普段から行っている対話を再現するものだろう。対話によって、告発者や対話者が知っていると思っていたことが、実は知っていると思っているに過ぎなかったことが明らかになる。これによって、ソクラテスは対話者の「不知」を暴くことで恨みを買い、告発されるまでになっていったのであろう。

古くからの告発と新しい告発者への告発の2つへの弁明となっているのが素晴らしい。古くからある告発の内容を吟味せずに、今回の告発が行われいるということを明らかにしていく。実際に恨みを抱いたものからの告発でなく、古くからある評価を検討することなく鵜呑みにして、新しい告発が行われているさまが描かれる。

ここでは、対話を始めるきっかけとしての「デルフォイの信託」の話が描かれている。「最高の知者」としてのソクラテスの話だ。

死刑を避けない

ソクラテスは、古くからの告発者たちの「知らないことを自覚していない」ことを暴き、告発を受けている。だから、ソクラテスは死を「知らない」と自覚しているが故に、死を恐れてはいけない。だから死刑を避けてはいけないのだと思う。 有罪であると決まったあと、告発者が求めている死刑に対し、ソクラテスが対案としての刑罰を提案する。ソクラテスが提案する刑罰は食事だ。食事をする刑罰なんて聞いたことがないが、自分の非を認めていないソクラテスは食事を提案する。それはあんまりだといういうことで、裁判所に来ていた仲間たちが罰金刑へと促すのだが、死刑となる。

納冨信留さんの解説が素晴らしい。現代に通じる話であり読みにくい話ではないが、時代背景がことなるので詳しい解説が理解の助けになった。とくによく知られている「無知の知」についての解説がよかった。

ソクラテスが「知らないと思っている」という慎重な言い方をしていて、日本で流布する「無知の知」(無知を知っている)といった表現は用いていない点である。
プラトン,『ソクラテスの弁明』,光文社,2022年,位置1429

「不知」は「知らないこと」で、「無知」は「知らないこと/不知」を自覚してない、状態。「知らないこと/不知」を自覚していない状態を「思い込み」(ドクサ)と呼ぶ。知らないことを自覚していない状態、「無知」が最悪の恥ずべき状態。 「無知の知」では、「知らないことを自覚していないことを知っている」になってしまう。

2023年3月5日日曜日

『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』は未来を舞台にしているが、今の時代を描いている。

図書館に行ったときには、いくつかの新聞の書評欄を読むようにしていて、その中でも読売新聞の書評で興味を持ったのが『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』だった。

ダンサーの主人公は交通事故で右足を失い、踊りを諦めていたのだけれど、AIを搭載した義足とともに再び踊ることに挑戦する、という話だ。ただ、歩けるようになるだけでなく、AIがダンスという芸術を表現するようになる、という点が『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』なのだろう。護堂恒明は、自身の踊りを理解するようにAIを訓練していく。

言語を介さないコミュニケーション

ここからいくつかの話が立ち上がってくる。恋人との出会いと、踊りの師匠でもある父親の認知症だ。 父親は自らの事故で恒明の母親である妻を喪ったことをきっかけとして、認知症の進行が進んでゆく。恒明は父親を踊り手として尊敬しているが故に、コミュニケーションをとってこなかったことを後悔する。認知性が進行してゆき、もはや正常な会話が成り立たないような状況でも、体が覚えていた踊りによるコミュニケーションは出来た。恋人と会うシーンはあまり描かれない。普段の連絡は主に端末によるメッセージのようだ。恋人との心情は実際に会っているときに、言葉ではなく食事中の所作などで、お互いに言葉を介さないコミュニケーションをしている。

プロトコル・オブ・ヒューマニティとは

この、言葉を介さないコミュニケーションの大きさを伝えるのが本書のテーマで、タイトルである『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』になるのだろう。 新型コロナウィルスによる影響で、オンラインでのやり取りが増え、対面で会話をする機会が減った。この小説は、人間とはなにかという普遍的なテーマと、人は会うことでどんな情報のやり取りをしていたのかという同時代的なテーマを表現している。『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』は未来を舞台にしているが、今の時代を描いている。

2023年2月13日月曜日

『ナーゲルスマン流52の原則』を読んで、サッカーの見方が変わってしまった。

日韓ワールドカップのグループリーグで絶望するルイス・フィーゴを目にしてすぐ、チャンピオンズリーグを観るためにWOWOWに加入した。もう20年以上前の話だ。 それ以来になるが今シーズンはチャンピオンズリーグをグループリーグから観ている。2022年はワールドカップも開催されていたので、サッカーをよく観た。

サッカーを観ていると、ゴール前を守備陣が固めていて、どうやってもゴールを奪えそうにないなと思えるときがある。もちろん、そのままゴールが生まれず試合が終わるときもあるが、予想に反してゴールを奪えるときもある。 なぜ違う結果になるのか、強いチームと弱いチームとはなんなのか。 絶望する選手や、ゴールのカタルシスを楽しむだけではなく、サッカーの中身を楽しみたくなった。

そんなときに出会ったのが本書『ナーゲルスマン流52の原則』だ。

52の原則に細かく分かれていることで、理解がしやすい

52ある原則のうち、サッカーのピッチ内での戦術は30であり、他の22はピッチ外での原則となっている。しかしながら、ピッチ外での原則もサッカーで勝利するための原則には違いない。原則自体はナーゲルスマンがまとめ上げたわけではなく、著者の木崎伸也さんが取材と分析の結果まとめたもののようだ。このまとめ方がサッカー理論初心者の私にはとてもわかりやすかった。30もの項目に細かくわけてくれていることで、ひとつひとつの原則を適用する場合がよくわかる。

たとえば「原則1:最小限の幅」である。

攻撃中にワイドの選手が中へ移動し、陣形の幅を狭めること。
木崎伸也,『ナーゲルスマン流52の原則』,ソル・メディア,2022年,20頁

「原則1」と合わせてしまって良いのではないかと思われる原則に、「原則5:狭いポジショナルプレー」、「原則6:ボックス占拠」がある。これらを別にすることで、複数の原則を組み合わせて展開することが出来、バリエーションを作り出せる。

細かなものでいえば「原則13:6番の場所では横パスしてはいけない」という、パスの仕方の原則まである。6番とはボランチのことだ。6番はスローインもしてはいけない。このように原則を細分化していることで、ひとつひとつの原則がわかりやすくなっている。

サッカーの新たな戦術を探し求めている

サッカーの戦術が、どこまで考えられているものなのか、まずそれを知らなかった。個々の選手の主体性に任せている部分が大きいのだと思っていたので、パスの仕方までチームとして決めているとは思っていなかった。そこまで考えているということを知れたのは大きい。試合の見方も大きく変わるだろう。初めて読んだサッカー戦術本として、どのようなレベルで考えているか基本的なことを知れたのはよかった。

それと同時に、今までのサッカーの戦術を打ち破ろうとしているのが良くわかった。ウィングはピッチの幅全体に広がるのが良いものだと思っていたが、そうでない戦術が「原則1」として定義されている。それが、既存の戦術を尊重した上で組み立てられているというのが良い。

『監督は常にスープの中の髪の毛を探さなければならない』
木崎伸也,『ナーゲルスマン流52の原則』,ソル・メディア,2022年,91頁

チャンピオンズリーグラウンド16第2レグのザルツブルグ戦後に語ったというこの言葉が、ナーゲルスマンの考え方を現しているように思える。 戦術を重視しながら、これからのチャンピオンズリーグを観ていこう。

2023年2月5日日曜日

『物語フランス革命 バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで 』を読んで

フランス革命のことを知りたくなったのは、自由と平等の成り立ちと、封建主義から国民主権への移り変わりがどのように行われたか知りたかったからというのが一点、もう一点は、自由と平等を獲得したフランスと植民地との関係を知りたかったからだ。

フランス革命の影響

自由と平等の成り立ち、封建主義から国民主権への移り変わりが本書で取り上げられている中心と言えるだろう。 フランス革命と植民地との関係への言及はない。フランスと他国との関係でいえば、フランス以外のヨーロッパのでは王国が成立していて、その中で国民主権を目指すフランス革命が起こったとなれば、他国が自国への影響を恐れるのは当然であり、またフランスが獲得した自由と平等を他国へ広めていこうというのも当然である。戴冠したナポレオンがどのような行動をしいていくのか気になるところではあるが、それは本書では描かれていない。

フランス革命を成し遂げた場合、他国にとって封建制度を土台から揺るがす脅威となり戦争の種となる。フランス革命を成し遂げたいフランス内部の目線でしか考えていなかったが、他国から見れば煩わしい問題が起きていて火の粉が降り掛かってくると見える。この観点からは考えたこともなかった。

フランス革命の成り立ちへの違和感

国王ルイ十六世は、改革派で国民のためを思って革命を許容しているように思える。ヴァレンヌ逃亡事件など、革命の妨げとなる行動もしているが、現代の人間と地続きの感性を持っているように思われ、処刑は象徴的な意味合いが大きいように思える。王妃マリーアン トワネットの処刑に関しても、革命政府による革命裁判で処刑された人々に、今まで革命を戦ってきた同士も含まれてくるのをみると、処刑の意義は見いだせない。

ロベスピエール率いる革命政府による恐怖政治は、国王が主権を持つ絶対王政から国民主権への移行の失敗と捉えることも出来る。国民主権を実現するに際して、ナポレオンを皇帝に擁立するという方法以外で、実現することは難しかったのか、よく考えてみたい。

フランス革命の結果

本書のタイトルが『物語フランス革命』であることを考えると、処刑されて空白となったルイ十六世の替わりに、生まれを問わない新たな王として皇帝ナポレオンが戴冠をしたという結末は納得のいくものである。しかしながら、自由と平等、国民主権という観点ではこの結末で良かったのだろうか、という疑問は残る。

王政が倒れたあとの革命政府による恐怖政治の様子をみると、新たな王を擁立しなければ安定した政治を築けなかったのかと思わされる。国民主権という観点から考えれば、一度実現した男性普通選挙も、財産による参政権の制限が復活していることからも、フランス革命で国民主権を勝ち取ったとは言い難いのかもしれない。

すべてが願い通りになったとはいえないかもしれないが、それでも封建主義からの抜け出す大きな一歩だったのだろうことは本書から理解は出来た。

2023年1月27日金曜日

『チェチェンの呪縛 紛争の淵源を読み解く』を読んで、歴史を忘れないようにしようと思った。

『チェチェンへようこそ ゲイの粛清』という映画が気になっていた。LGBTがニュースの話題として登ることが当たり前になった現在、性的嗜好によって命に危険が及ぶ国とは、どのような国なのかと興味を持った。

あるとき図書館の棚を眺めていたら本書『チェチェンの呪縛』が目に入った。手にとって見ると、チェチェンはロシアに隣接していて、90年代にはロシアと戦争をしていたようだ。ロシアと隣接する国との戦争。現在起きているウクライナとロシアとの戦争を理解する手がかりになるかもしれないと読み始めた。

政権のための戦争

チェチェンから逃げてきた人々の難民としての暮らしと、逃げても続くロシアからの暴力が冒頭で描かれる。チェチェンへの空爆とそれに対して行われる報復としてのテロ。戦争のきっかけはチェチェンの独立にあるのだろうが、それを許さない理由はロシア側にある。

チェチェン戦争の狙いは、本書で述べたように、おもに資源争奪をめぐる経済戦争であったのと同時に、エリツィン、プーチン両政権を通じてつねに政権を浮揚させる梃子として利用されてきた。
横村出,『チェチェンの呪縛 紛争の淵源を読み解く』,岩波書店,2005年,位置2521

石油資源をめぐる戦争というのは理解できる。本書を読んで考えさせられたのは、政権のために戦争が行われているという点だ。支持率をあげるためにテロへの報復として空爆が行われる。

資源の確保ではなく、テロとの戦い

資源確保のためにチェチェンの独立をロシアが許さない、というのがもともとの戦争の理由だ。しかし、9.11以降、戦争の理由が「テロとの戦い」となり激しさを増す。戦っているのはロシア人とチェチェン人だったはずだが、厳戒態勢化の選挙で成立した親ロシア政府軍が、独立派チェチェン人による「テロとの戦い」を始める。

この時点で、丁寧に歴史を振り返らなければロシアとの関係が見えにくくなっている。チェチェン人同士の紛争にすることで、ロシアの責任を見えにくくし、チェチェンを「正常化」しようという意図が見える。「正常化」してしまったチェチェンでは、もう体制に反対することは難しくなるだろう。

難民の人々は、理由もなく平和な生活を奪われ、慣れない土地で暮らさざるをえない。将来の見通しも難しい。解決への糸口も見えない。こちらから情報を得ようとしない限り、現在のチェチェンの情報が報道されることもない。 少なくとも忘れないようにすることで抵抗していきたい。

2023年1月12日木曜日

『だし生活、はじめました。』を読んで、だしをひいてみた。

どんな本か

料理をするならば、だしをひいた方が良いという気持ちはあるが、それでもなかなかだしをひくことが出来ない。 本書は、だしのひき方を教える本というよりは、そんな人の背中を押してくれるの本なのではないだろうか。

だし生活をはじめるに際しての道具の購入からはじまり、だしとなる鰹節・昆布がどのように作られているか、関東と関西のだしの歴史がどのように形成されたのであろうかなどが描かれる。だしを巡る知識を外堀から埋めていき、だしへの興味を深めていった結果、だしを取り始めるようになる人々の姿が目に浮かぶ。

だしのひき方

もちろん、かんたんな昆布だしのひき方を知ることも出来る。

1リットルの水にだし用の昆布10グラムを入れ、冷蔵庫に入れて一晩から二晩おく。
梅津有希子,『だし生活、はじめました。』,祥伝社,2015,178頁

読み終えてすぐに真昆布を10ぐらむを入れて出汁をとってみた。乾麺のそばのつゆに昆布だしと醤油を入れるだけで十分美味しかった。

かんたんな鰹だしのひき方もしることが出来る。

分量は、水1リットルに、本枯れかつお節を15グラム。 鍋に水を入れて沸騰したら、大きめのボウルに熱湯を注ぎ、かつお節を入れて1分待ちます。その後ふきんでこして出来上がり。
梅津有希子,『だし生活、はじめました。』,祥伝社,2015,72頁

こちらは家にかつお節がなかったので、まだ試せていない。ふきんでこすのは難しそうなので、家にあるかつお節こし器を使ってみようと思う。

良かった点

スーパーでは日高昆布をよく見かけるが、だしをひくのならば日高昆布ではなく、真昆布か羅臼昆布をオススメしてくれている。濃厚さから真昆布か羅臼とのことで、昆布だしに慣れていなくて、だしをひいてもあまり味を感じないと続かないと思うので、濃厚さは重要だと思う。手間をかけた見返りが少ないと続かないと思うので。

かつお節出汁はまだ試せてなく、何も知らない状態が続いているので、具体的に良かった点もまだわからない。今後に期待。 少なくとも、選ぶべき昆布とかんたんな出しのひき方がわかったので、良かった。今後も無理せず続けていきたい。